和而不流(和して流れず)
Columns
大臣発言に対する責任追及について
報道によれば、柳沢厚生労働大臣の発言は『なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。』というものです。
柳沢大臣の講演内容が女性蔑視で、子育て環境に対する無理解から発したものと決めつけることには疑問がありますが、『女性は生む機械』という部分は、極めて不適切で「不見識極まりない発言で、少子化担当大臣を更迭すべき」とする意見は当然のようにも感じます。
マスコミは「大臣を辞めなければ法案審議しない」とする民主党、社民党などに好意的な論調ですが、私は議会人としての職責を放棄するものだと思います。もっと、国会で「1.26まで低下した出生率をどうするのか」という議論を徹底的に行うなかで、少子化担当大臣としての責任を追及すべきではないでしょうか。むしろ、国会議員が大臣発言に対する質疑を1回も行うことなく、国会の外で責任追及していることには嫌悪感さえ覚えます。
マスメディアを意識した世論誘導が政党の役割であるかのような「政治ごっこ」によって、財政や教育、外交などの問題が隅に追いやられている観があります。国会は「立法の府」と言うには程遠く、これが日本の政治レベルかと思うとやりきれなさを感じます。
│掲載日:2001年11月30日│
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