和而不流(和して流れず)

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積善の家には必ず餘慶あり

ものごとの兆候を察知し、早期に適切な措置を施すことが肝要だ

「積善の家には必ず餘慶あり」は「善行を続けると子々孫々まで幸いがある」との意で使われますが、その出典は『易経坤為地』です。原文には「積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故。其所由來者漸矣。由辯之不早辯也。易曰、履霜堅冰至。蓋言順也。」とあり、書き下し文は「積善の家には必ず余慶あり。積不善の家には必ず余殃有り。臣にして其の君を弑し、子にして其の父を弑するは一朝一夕の故に非ず。其の由って來る所の者は漸なり。之を辯じて早く辯ぜざる由るなり。易に曰く、霜を履んで堅冰に至ると。蓋し順なるを言うなり。」となります。その意味するところは、「善行を積み重ねた家には、その報いとしてきっと幸福が子孫にまで及び、反対に不善を積み重ねた家には、きっと災禍が子孫にまで降りかかるものである。臣下が自分の君主を殺したり、子が自分の親を殺したりするような痛ましい事件は、一朝一夕の短い期間で起こりうる性質のものではない。霜を踏んで歩く季節を経ると、やがて氷の張る季節が来るように、物事の兆候が現れれば、大事が間もなくやってくる。それは、早い段階にその事態を理解し、適切な措置を施さなかった結果なのである。」とするもので、為政者や指導者の心構えを示したものです。いま、問題となっている旧統一教会については、30年も前から霊感商法や高額献金の問題が指摘されながら監督行政機関が確たる対応を執ってこなかったことが安倍元首相の暗殺の因となったとも考えられますし、歯止めのきかない円安や年金、医療の肥大化は適切な社会システムの構築を先伸ばしにしてきたツケと言えるのかも知れません。

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