和而不流(和して流れず)

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国益を損なう報道姿勢は疑問

- 死者に鞭打つような所作は日本人として慎むべきで恥 -

9月27日の午後2時から日本武道館で参議院選挙のさ中の7月8日に奈良県の駅頭で凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬が執り行われました。葬儀の形式を国葬とする岸田首相の意向が示されたのは安倍元首相の密葬終了後の7月14日で、当初は吉田茂元首相の国葬から55年ぶりとなる決定にさほどの批判が生じたとは思えませんでしたが、葬儀を2か月も先の日程としたことや内閣に国葬に関わるケーススタディが無いため、国会やマスコミへの情報提供が『後出し』になったことが、決定過程や国費の支出が過大との反対世論の高まりになったと思われます。ニュースでは、国葬に先立ち日本武道館に近い九段坂公園に設置された献花台には2万人を超える人が列をなしたと伝えられ、各地の自民党県連事務局に設置された記帳所や献花台に弔意を寄せた人も多かったとありましたが、一方で国葬に反対する人たちのデモ行進や集会の模様が繰り返し放映され、何か日本中が国葬の賛否で混乱しているかのような印象操作には大きな違和感を覚えました。
安倍元首相には毀誉褒貶があり、民主主義ですから政権運営に対する賛否があるのは当然ですが、日本には「たとえ村八分でも火事と弔いは別物」とする習慣があり、「死者に鞭打つ」ことは恥とされており、故人に黙とうを捧げるまさにその刻に合わせて「国葬反対」のシュプレヒコールで握り拳を上げる国会議員の姿には唖然としました。加えて、友人代表で弔辞を述べた菅義偉元首相の言葉に感涙した人は多いと思いますが、あるTVで「広告代理店の演出」とするコメントが流されたのには開いた口が塞がりませんでした。コメンテイターとしてTV番組に出演する面々が個人的な見解を述べることは自由だとしても、電波が公共のものである以上、一定の節度は守るべきであり、マスコミ各社は破廉恥極まりない発言の責任をきちんと問うべき責任を有していると思います。。
また、テレビの討論番組や新聞では、市庁舎や読者の判断材料の参考にすべきとして賛成意見と反対意見が同等に扱われますが、市井で故人に手を合わせた人と「国葬反対」を叫ぶ人が半々で、安倍元首相の国葬によって日本中に分断を呼んで混乱しているかのごとき報道が適切だとは思えず、必ずしも事実の全体像ではない一部分を切り取った国内報道が外電で海外に発信・紹介されることは、日本の国益を大きく損なうものだと思います。

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