和而不流(和して流れず)

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澄田信義前島根県知事を偲ぶ

9月13日(日)午後2時から、くにびきメッセで偲ぶ会が執り行われます

澄田信義前島根県知事には平成21年6月13日午後9時16分内臓疾患により逝去されました。澄田さんは、旧国鉄の常務理事職員局長を経て、昭和62年4月、島根県知事に当選され、5期20年に亘って県勢振興に尽瘁されました。「至誠通天」を座右の銘として、まさに誠実一途で高潔な人柄は、誰からも信頼される知事でした。就任記者会見で「島根県は出雲・石見・隠岐の一体的な発展こそ目指すべき道であり、豊かな自然と神々の時代から受け継いできた歴史・文化の輝きは、日本人をリフレッシュさせる場所に相応しいと思っている」と述べ、荒神谷の銅剣、加茂岩倉の銅鐸に象徴される出雲古代文化の継承・展示を平成19年3月、古代出雲歴史博物館として結実させたのを見届け、退任されました。小生とは、平成15年4月からわずか1期4年間、県議会を通じてのおつき合いでしたが、稀に議場で無原稿で行う澄田さんの答弁に、博学で高い見識が見て取れました。とりわけ、劉邦の「法三章」の故事や戦後初めての「君が代」吹奏が神宮球場で行われたことなどのコメントが印象に残っています。平成19年4月28日、知事として執務された最終日に「高きところを望んで志を果たして下さい」と「望雲」と揮毫された色紙を渡されたことが昨日のように思い出されます。任期中に2度にわたる悪性腫瘍の摘出手術を受けながらも、島根県の県勢振興に尽くされた功績は極めて大きく、ここに、衷心より哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈り申し上げます。なお、9月13日(日)午後2時から、島根県などの主催でくにびきメッセにおいて「澄田信義さんを偲ぶ会」が執り行われます

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