和而不流(和して流れず)

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年頭所感(平成24年)

「辛抱」

「我慢」と「辛抱」について調べてみた。ともに忍耐をあらわす同義語だと思っていたが、我慢は、もともと仏教用語で、我を立てる気持ちの意、つまり自慢の裏返しで、辛抱は、環境の苦しさに押し流されないで、向上心を持ち続けることとある。
そういうことになると、我慢の先には、あまり嬉しいものはないが、辛抱には背景に長い時間と、じっと息を潜めているような忍耐があり、冬を越して暖かい春を待つという雰囲気がある。「我慢の先には不満 が、辛抱の先には 希望 がある」と言われる所以である。
ドイツの詩人ローガウは「希望は頑丈な杖で 忍耐は旅の着物 この二つをもって 人は現世と墓を通って 永遠へと歩を進める」と述べている。
小生は「次代のために少しの我慢を」と説いてきた。今は、住民に一時の忍耐をお願いする時期だと思う。しかし、政治に身をおく者として、その先には明るい希望の光が垣間見えるような道程をきちんと示す努力を怠ってはならないと強く心した平成24年の年頭である。

だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないくるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが
ただだまっているだけなんだよ
いえば ぐちになるから  相田みつお

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