和而不流(和して流れず)

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安倍元総理大臣の殺傷事件報道について

日本社会が保持してきた『徳性』を取り戻すことが必要だ

参議院選挙のさなかの7月8日の午前に奈良県の路上で安倍晋三元首相が殺害されるという衝撃的な事件が起きました。TVでは終日、事件報道一色となり、7月9日付けの新聞も元首相の殺害関連の記事で埋まりました。
選挙期間中に生じた元総理大臣経験者の殺害事件ですから、通常の事件報道と異なるのは当然としても、事件の背後関係に例えばテロや政治的な陰謀の疑いが明白であれば当然ですが、現行犯逮捕された容疑者の供述に犯行動機に政治的な側面がほとんど感じられない中で、識者やマスコミ、政治家の皆さんのコメントが判で押したごとく『言論の自由や民主主義への挑戦』『言論が銃弾に屈してはならない』などのフレーズが大げさに使われていることには若干の違和感を覚えました。
今回の事件は、市井にある一般人が、手製の殺人凶器を作り、要人警護の対象者を衆人環視の中で、白昼堂々と殺害する所作を可能にした事実であることが極めて深刻かつ重大な問題で、『世界でもっとも治安のよい国』だと自負していた日本社会が、いつの間にか殺人や詐欺などの兇悪事件が日常茶飯事となってきており、取り締まりのための法制化や厳罰化が行われているものの、改善に向かっているとは言い難い現実があり、いつでも起こりうる可能性があると言うことです。
今回の事件については警備上の問題がクローズアップされ、今後の要人警護が強化されることは容易に想像できますが、権力で治安を守るのではなく、日本社会が保持してきた知性や理性、徳性といった倫理観を取り戻すことが必要だと思います。ウィズコロナに舵が切られ、再び、人々の往来が活発化し、海外からの観光客に日本社会を満喫していただくためにも、しっかりとした『倫理教育』の実践が不可欠だと感じます。

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