Reports
「自殺」「未履修」など一連の報道の洪水は、学校・教師受難の時代であるように見受けられます。
自殺の要因が「学校でのいじめ事象」であり、それに対する学校、教員の対応が不十分だったため子どもが自殺に追い込まれたとの意見が跋扈しています。自殺した子どもの親が学校や教師をののしり、その様子をテレビや新聞などが取り上げ、まるで自殺の原因や自殺を予見できなかったほとんどの原因が学校や教師にあると言わんばかりの報道が続いています。
高等学校の未履修や履修時間の不足に関する報道を見ても教育委員会や当該学校の校長等が一方的に頭をたれて謝罪する姿ばかりが報道されています。昨日、教育長は行為の実行責任は当該学校の校長、県教委はその状況について黙認していたとして「いずれケジメを」と処分について言及されました。
行政の結果責任を立場の一番重い人が負うことは大事です。しかし、今回の未履修について関係者を処分するのであれば、「そうせざるを得なかった」原因があり、本県高校生の利益を第一に考えた「教育的配慮」に対する功罪についてもきちんと総括すべきで、センター試験のあり方や授業時間数の確保など、今後の対処について現場の意見をふまえた制度改革を求めることが先決ではないでしょうか。
島根県の不登校の子どもの出現率は全国一だという。要因は何でしょうか。島根県の子どもの学力がイマイチだという。要因は何でしょうか。
「不登校の原因は」と尋ねれば、「多くは教師や友達との人間関係がうまく行かないなどの対人関係が問題」とか、「学力の問題は」と尋ねれば「授業時程数の縮減・削減など教育過程の変更や家庭学習など自学習慣の未熟」など、表面的な答えは返ってきます。しかし、いずれも全国共通であり、過疎化・高齢化により分母となる児童生徒の実数が少なく、デフォルメされやすいという面はあるにしても、なぜ本県のポイントが高いのかの答えになっていないと尋ねると「集計の仕方や対象のとらえ方が若干違う」という答えが返ってきます。
あくまでも、仮説ですが、私は、いずれの問題にも全国平均に比べて県民所得の水準が低いことと夫婦共稼ぎの世帯が多いこととの相関関係があるのではないかと思っています。子どもは学校社会という場で、かけがえのない友人や先生との出会いやクラブ活動など課外学習での素晴らしい体験がある一方で学習、対人関係など様々な喜怒哀楽を経験し、成長するわけですが、純粋であるだけに傷つくことも多いと思います。
ほとんどの場合は、家に帰って家族とふれあうことで自然にケアされているのでしょうが、核家族化するなかで家族の構成人員が少なくなると小さなストレスを翌日に持ち越してしまうケースもあるのではないかと思います。核家族化や共稼ぎによって両親と子どものふれあう時間が少ないことが子どもの発する小さなサインを見逃す要因の一つであるとすれば、雇用や社会政策でのフォローも必要でしょう。
学力向上や不登校の抜本的な解決には「所得向上」「家庭でのケア時間の確保」といった教育委員会以外の部署が対策を講じる必要があるのではないかと思います。また、現況は、教師が胸を張って、堂々と学校教育に尽瘁できる体制だとは思えません。テレビに出演するキャスターやコメンテーターと称する人の発言がまるで社会の価値観のようなマスコミ報道に翻弄される様子が教育現場の混乱に拍車をかけている。法枠にうずくまる野良犬の救出を何時間も中継するようなテレビを見るにつけ「一億総白痴化」という言葉を思い出します。
教育現場の課題解決には、まず、人間の社会観、価値観を正すことが先決ではないかと思います。教員の採用にあたっても、2-3年の試用期間を定めて教員の適正をじっくり見定めてはどうでしょうか。
現状は、正規に採用した上で、1年間の研修を義務づける「条件付き採用」と伺っております。現行の3次試験までの選考が不十分とは言いませんが、マニュアル化された試験制度にトライするための訓練によって「優秀な人材に見える」人たちが次々とドロップアウトしており、もう少し選考に時間をかけても良いのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
また、不祥事やことが起こるたび教育長が記者会見されますが、いまこそ、島根県の教育行政を司るべき立場の教育委員さんの出番だと思います。
県議会にはいつも執行責任者として教育委員長の顔はありますが、「陪席」のように見えてしまいます。「いじめ」「基礎学力」「未履修」「教科書」「国旗・国家」など様々な問題について活発な議論がなされているのでしょうが、島根県の教育委員会でどのような議論が展開されているのか一向にわかりませんし、積極的な広報もされておらず、機能不全に陥っているのではないかとさえ感じます。
事実、10月、11月と「未履修」「不登校」など、本県でも大きな問題が指摘されているにもかかわらず、平成18年度の教育委員会の開催は月一回の定例会だけで、特定の問題について徹底的な議論が展開されているようには見えませんでした。学校や教師の責任に帰する問題があるのかどうか、行政に瑕疵はないのかどうかなど、高潔な人格と豊かな識見から述べられる島根教育の行く末に対する活発な意見交換を期待しており「ものごとの本質」に対する委員各位の意見を発信することが是非とも必要であります。
教育委員会で展開されている議論が、単に教育庁が用意した議題に則った「単なる手続き、追認」でないことを願っており、教育委員長にしまね教育の現状に対する認識と今後の課題についてのご見解をお尋ねいたします。
平成18年はホリエモンの逮捕ではじまり福島、和歌山、宮崎などの談合が摘発されました。せめて、政に参画する身にあって、来る年は「天地に正気あり、雑然として流形を賦す下は河獄となり、上は目星となる。人においては浩然の気となり、沛乎として蒼冥にみつ(天地の中に正気というものがあるが、混然としていてはっきりしていない流動的なものである。この正気は地上では河や山となっているが、人に乗り移ってくると、広々とした志気として、蒼い海一杯となる)」との気概をもってあたるべきとして、私の質問を終わります。
│掲載日:2007年04月21日│
本県では、欠席理由が例えば頭痛や腹痛であっても、不登校が懸念される場合は「不登校」として、本人の状況の把握に努め、適切な支援を行うよう各学校にお願いしているところであり、多少弁解めいてはおりますが、不登校児童生徒の出現率全国一位は、こうした認識の上に立って対処していることの結果でもあると考えております。しかし、一〇〇〇名を越える児童生徒が、学校に行けない、または行かない状況を深刻に受け止め、喫緊の課題として取り組んでまいりましたが、不登校者数の減少に至らなかったことは残念でなりません。
平成十七年度「不登校の状況等に関する調査」のまとめによると、不登校のきっかけと思われるものとして対人関係への不安や集団生活に対する強い緊張感、生活リズムの乱れ(昼夜逆転の生活)などが最も多くなっております。しかし、これらはあくまでもきっかけであり、不登校には様々な要因が考えられます。
データからは学校規模や地域による差は見られませんが、子どもたちの集団が小さくなり、固定化された人間関係の中で、不自由さを感じている子どももいるのではないかと考えられます。いずれにしても、学校・家庭・地域において、一人一人の大人が子どもとしっかり向き合うことが大切だと考えます。
今後とも家庭と地域社会との連携を密にし、不登校児童生徒が一人でも少なくなるように全力で対応していきたいと考えております。
本県児童生徒の学力の低下傾向については、今回の学力調査のみで、その要因を明確に抽出することはできませんが、今後、継続的に学力調査を実施することで、より要因が明確になってくると考えます。ただ、今回の調査結果の分析から、全国的な値と比べて、家庭での学習時間が不足していることや、テレビを見る時間が長いことなどの要因が推測されます。
また、文章で記述する問題で無回答が多く、自分の考えをまとめて書くなどの論理的な思考力が不十分であったことも、学力の低下に影響を及ぼしていると考えております。議員のお考えのように、家族とのふれ合いは大切であり、今回の調査結果からも、家族との過ごし方やふれ合いと学力との間には、高い関連性があることがわかりました。
家庭での学習習慣づくりや生活習慣の改善だけでなく、家族とのふれ合いの重要性についても、働きかけていきたいと考えております。また、親子とのふれ合いは、乳幼児期から親が子にかかわる時間をどう確保し、どう向き合うかから始まることであります。教育委員会だけでなく、健康福祉部や各市町村の関係部局等との連携を強化し、乳幼児期からの養育の充実を図って参りたいと考えております。
教員採用にあたって、一般職の条件附任用期間は、地方公務員法で六月とされていますが、教諭の勤務形態や職務の特殊性などに鑑みて、教諭についてはこの期間を一年とするよう教育公務員特例法で定められています。新規採用者は、この一年間にいわゆる初任者研修を受けることとなります。そこで、本県においては、よりきめ細かな指導をするため、一年間に三回、採用教員の状況について様々な観点から報告を求め、条件附任用期間中における指導、育成状況を把握するとともに、研修内容や指導育成の方法の充実を図っております。
教員採用にあたって、二~三年の試用期間を設けることは法の定めによりできませんが、本県では、近年の新規採用者の八十パーセントが講師経験者であるという実態となっております。
若さと情熱と豊かなインテリジェンスで、まことに当を得たお話を聞かせていただきまして、教育委員長といたしましてもひどく心を打たれるところがございます。また、お話にございましたように、マスコミのあり方なり、あるいは未履修の問題におけるよってたかった原因が、ただ学校で進学のためにのみそのようなことをしたのかということだけでなしに、国全体の教育のあり方あるいは試験制度の問題等々、まさに私も感をともにするところがございます。
しかし、このことにつきましては、後ほど教育長の方から答弁があると思いますので、私の方は教育委員会はどうなんだということでございますので、そのことについてのお答えをさせていただきますが、教育委員会のあり方につきましては、県教育委員会は県の基本的な教育の方針や計画を協議して策定するとともに、さまざまな教育課題に対して、その解決方法などを積極的に議論して決定をいたしてきております。しかし、議員のおっしゃるように、確かに教育委員会の意思決定の過程が、首長や議会に比べて見えにくいという面がございます。このことから、委員会の開催につきましては、現在では事前に記者発表を行って、会議は原則公開で行って、開かれた委員会となるように努めているところでございます。
なお、いわゆる顔が見えにくいという問題につきまして、実は10月9日、10日に山口県で中国5県の教育委員会の協議会がございました。そこで私の主催をいたしました分科会におきまして、現在の教育問題がこれだけ大変なことが論じられる中で、県教育委員会のあり方が今のようなことでいいんだろうかということが提案がありました。
そして、それを全体会議で話し合いをいたしながら、それぞれの県の教育委員会が今後どのような教育委員会としての活動を展開をし、御理解いただくかということを中国5県でも話し合おうというようなこともなされたところでございますが、本県におきましては、各委員それぞれが学校訪問を初め教育懇話会や学習発表会でありますところのふるさと教育フェスティバル等へ参加をいたしまして、県内各地へ出かけて意見交換を行いながら教育の実態を把握しておるというような実態もございますが、今後は県教育委員会を、先ほど御指摘がございましたように、1カ月に1回形式的に開いているんではないかというようなお話であったかというように思いますが、少なくとも開催場所をいわゆる教育庁の会議室だけでなしに、なるべく多くの県民の方々に傍聴していただけるように、会場を移動してでも、さまざまな教育分野の有識者の皆さん方との懇談会も重ねながら、多角的な教育委員会を開催してまいりたいというふうに思っておりますし、また教育委員会での議論の内容につきましても、委員会発行の広報紙「教育しまね」がございますが、これらに掲載するなど、県民の皆様にわかりやすい教育委員会になるように、委員会の活性化、機能の充実に取り組んでまいりたいというふうに考えております。
なお、午前中申し上げましたように、こういう状況の中での教育委員会でございますだけに、国においても今回の教育基本法の改正に伴って、それが終わったら総理が教育委員会制度のあり方を法制化しようということがきょうの新聞報道等でございますように、国が地方の教育委員会へどれだけ入り込むと言ったら大変言葉が穏当を欠くのかもしれませんが、先ごろのテレビで伊吹文部大臣が未履修の問題で、最終的に文部大臣というのは、いわゆる高校の校長だとか地方の教育委員会へ対して指導するだけの立場しかないんだというような発言をなさっておられましたが、そこらが今後の改正の中でどのようになるのかは、今の段階ではわかりませんが、いずれにしても明年の改正などでは、そこらのところがまた改正されてくるだろうということが予測される中でございますので、教育委員会の動きはなお流動的でございますけれども、速やかにこれらに対応するように努めてまいりたいと、かように考えておるところでございます。