Reports
戦前、小中学校の教員は県立の師範学校があり、教員の養成は全て県の責任において行われていたそうであります。授業料は無償で、寄宿舎の食費のみ有償であったようであります。
戦後も、大学の教員養成課程から教員に採用された人は日本育英会から受けた奨学資金の返済が免除されるなど、人材育成の要諦となる教員の養成に配慮されてきました。
本県においては、教員伝習所、島根師範、島根大学教育学部と教員養成の長い歴史がありますが、このところ、島根大学教育学部を卒業しても本県教員として採用される人が少なく、教員人材の流出を危惧しております。
とりわけ、島根大学の法人化に伴い、本県音楽教育を担っていた特音課程がなくなり、音楽の専門教育を希望する人のほとんどが県外の大学に進学している状況は極めて憂慮すべき事態でありましょう。島根の音楽レベルを全国有数のものにしてきた島根大学の功績は極めて大きいものがありますが、県はあまりに無関心であります。このままでは、音楽島根の伝統は地に落ちてしまいます。
県は、早急に次代を担う島根県の人材育成のため、教員養成の役割を担う島根大学教育学部に対し相応の支援を行うとともに、緊密に連携して島根の教育レベルの向上にともに汗をかくべきだと思います。県内学校の学力レベルを判断するためのテストの実施や学習塾業者の分析も必要でしょうが、それ以上に、どうすれば島根の子どもが伸びるのか、どうすれば教員の教える力がより秀逸なものになるのかについて専門的な知見から指導・助言を仰ぎ、同じ課題をともに研究する方が大切だと思いますがいかがでしょうか。。
近年、大都市部では、団塊の世代教員の大量退職により、大量の教員採用が必要となり、地方大学の教員養成課程在籍者に対する「青田刈り」が始まっていると聞いております。医師や看護師に続いて、今度は教員までもが不足する事態となれば、島根県の明日は暗澹たるものとなってしまいますが、教員を志す若者に対して奨学金制度の拡充や弁済支援など積極的な支援が必要ではないかと思います。
また、昨年、高校教員の不幸な交通死亡事故がありました。私は、事故の当事者の在籍する学校の保護者でもあり、当該教員を良く知っていますが、熱心で、生徒のことを思いやる素晴らしい先生でした。不幸にして事故の当事者となってしまいましたが、熱心に教育に打ち込む教員をもっともっと大事にしていただきたいと思います。結果責任は取らなければなりませんが、理由の如何に関わらず全てを糾弾するような風潮は教員の志気を落とすだけです。
もうひとつ、気にかかることがあります。先日、県内高校で2件の横領事犯がありました。まことに遺憾の極みであります。ただ、ある学校のPTAでこういう文書が配布されたそうであります。「地球環境保護のため、不要な文書の発行を抑制したい。ついては、PTAの総会資料について希望者にのみ配布するので事前に申し出てほしい。」と・・・。
このような判断をするPTA会長と学校長の顔が見たいと思う。ことの本質を離れた莫迦らしい判断ではないか。こうした判断しかできない管理職のもとで、どうしてまともな学校経営ができるでしょうか。学校、家庭、地域の連携によってともに人材を育てようとする時に、希望者にのみという姿勢は全く逆行するものであり、座視できません。協調の原点は情報の共有であり、管理職を指導監督する教育長に対して、適切な対応を望みます。
│掲載日:2008年07月06日│
教員の養成に関連いたしまして幾つかの質問がございました。
師範学校の例でありますとか、あるいは奨学金の役割などにつきましてもお話があったわけでございますが、今の島根県の中の教職員の状況を見ますと、これまでのところ県として教職員を採用しなければならない数を超えまして応募する人が多いわけでございます。大体競争率は過去数年では7倍から15倍ということでございますから、こういう世界では必ずしも奨学金というものが大きな役割を演じてるわけではないかもしれないという気もするわけでありますし、また団塊世代の教員の方々が退職をしていきますと、生徒は減るにしても教員の採用数はふえるかもしれませんが、今のところ直ちに教員不足が生ずるような状況でもないというふうに聞いてるところでございます。
そういう意味におきまして、大事なことは子供たちをよく教育できる立派なと申しますか、表現がいいかどうかわかりませんが、そういう教師をどうやって育成するかということではないか、それが当面の大きな課題ではないかというふうに教育委員会からは聞いてるわけでございまして、私も当面はそういうことかなあと、いかにして立派な教員を育てる、確保する、そういうことが大事な局面ではないかと思います。
そういう関連で、島根大学の教育養成課程との協力、あるいは一緒になって研究するとか、そういうことをもう少しやるべきではないかという御示唆もありました。私もその点はやるべだろうと思います。
現在の状況では、教育学部附属教育支援センターというとこで学生たちがどうやって教えるか、そういうことを教える場があるそうでありますけども、そこには県の教職員3名を3年間准教授として派遣をしとりまして、学生の教育プログラムに沿いまして講義をしたり、演習したり、学生が教師の体験学習をいたしますが、そういう実習の指導なんかもしておるわけでございますが、こういうものをもう少し幅広くできる可能性があるのか、領域があるのか、これは一つの検討課題ではないかというふうに思う次第であります。
希望者にのみPTAの総会資料を配布したことについての見解を申し上げます。
充実した教育を進めるためには、学校と家庭、地域の連携が重要だということを事あるたびに申しておるとこであります。
環境保護は県民を挙げて取り組む重要な課題であります。一方で、PTAの総会資料には、年度ごとの学校概況の説明の資料とか、PTAの事業報告、PTA諸会計決算及び監査報告などがあり、学校やPTA活動に対して保護者に理解と協力を求める上で大変重要なものだと思っております。
今年度、学校を運営する上で、校長には組織の責任者、リーダーとして重点項目を幾つか上げておりますが、その一つとして原点、基本あるいは基礎を大切にするということ、あるいはそうした土壌を培っていこうということを申しております。こうした基礎基本ということを今回の件に限って申しますれば、学校・地域・家庭の情報の共有というのは、まさしく基礎基本だろうと思います。また、会費についての予算と決算、きちんと報告するというのも基礎基本というふうに考えております。
そういうことから照らしますと、今回のことは事柄の軽重の判断の適切さに欠けておるというふうに思います。今回のこうした資料の配布に限りませず、いま一度学校の運営全般について、原点、基礎基本を大切にするということを強く求めていきたいというふうに思います。