県議会だより

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6月定例県議会一般質問(4)

体罰に対する見解について

4月28日の教師のいわゆる体罰に関する最高裁判所判決に対する見解をお尋ねします。
熊本県天草市の小学校で、児童の胸元をつかんだ教師の行為の是非が争われた訴訟で、最高裁判決は28日、教育的配慮があれば、教師が児童生徒に一定の「力」を行使しても、やむを得ない場合があると判断しました。
いじめや暴力行為、学級崩壊といった児童生徒の問題行動が深刻化する中、批判を恐れて厳しい指導が難しくなっている学校現場の実情に、一定の配慮を示した判決とみる専門家は少なくなく、指導に悩む教職員にとって大きな意味を持つ判決になったと評価する声が圧倒的で、世論調査でこの判決を支持する声が90%を超えたことに安堵しました。  判決は、体罰批判を過度に恐れ、遠慮がちに子供と接している教師に、毅然(きぜん)とした対応を躊躇する必要はないことを示したと言え、保護者の過剰なクレームによる教師の懲戒がされる傾向が改まることが期待されます、もちろん、感情に任せての言動は論外ですが、真に生徒のためを思っての行為は、私たちがかつてそうであったように、きっと子どもに通じるもので、生徒そして親は、学校教師に尊敬の念を持って接するべきは当然で、昨今良く耳にするように、授業中に勝手な振る舞いをする、教師の注意を無視するような生徒に対しては、教師は厳しい態度で、時には厳しく注意を与えてでもこれを正す事ができるようになるのではと思います。
しかし、一方で、多くのマスコミは、児童生徒に対する教員の体罰が、教育目的であれば許されると考えるのは早計で、問題行動を起こす子供への体罰を広く認めたわけではなく、個別の事例に対する判断を示した判決ととらえるべきだと述べていますが、この、最高裁判決について教育委員長の所感を求めたいと思います。
本来、家庭で行われるべきしつけがないがしろにされ、社会性が著しく欠ける子どもに対し、一方的に教師にその役割を押しつけ、結果責任を問う現状こそ問題にすべきであり、教職員に過剰なストレスが掛からないよう支援を充実させる教育行政のあり方を考える必要があるのではないでしょうか。
実は、県内の中学校でも、類似の事象が報道され、教員の懲戒処分が発表されました。実は、私の周辺で、島根県教育委員会の処分について「是」とする意見は皆無で、ほとんどが、この教師の子どもに対する日頃の熱心、かつ、真摯な姿勢を評価する意見で、「ほんとうににお気の毒だ」という意見が圧倒的でした。子どもに正面から向きあい、毎日のように繰り返される問題行動に対して体を張って対処されている先生に減給処分が必要であったのかどうか、本当に疑問であり、とても、容認できるものではありません。こんな、現場の実態とかけ離れた教育行政を続けていれば、情熱を持って教育にあたる教員は一人もいなくなり、子どもの規範意識が消失するどころか、問題事象に対する対応力はなくなってしまうと思います。子どもの問題行動に対する教師への支援がきちんと確立されない限り、前面に出て体を張る教師のリスクばかりが大きくなります。これは、部活動などの指導にも同じことが言え、「熱心に指導するほど、教員のリスクが拡大する」のであります。現状の、教育委員会は執行者である委員の構成も、事務局の体制も教育現場を知る者はごく少数で、「ちんちん、かもかも」の「上手つかい」が教育行政のトップに登用されているように感じます。
教師の評価が適正にされるためには、「減点法」ではなく「加点法」の勤務評価が何よりも大切であり、まず、教師がもっと社会から尊敬されるようにならなければ、学校教育の充実などあり得ないと思うのでありますが、この点、教育長の見解をお尋ねします。

山根昊一郎教育委員会委員長答弁

体罰に関する最高裁判決について

これは2年生児童が教師から体罰を受けたと主張して損害賠償を求めた裁判であります。私が子供時代、これは随分昔のことでありますが、教師は児童生徒からはもとより、家庭からも地域からも信頼と尊敬を集めて、今よりもっと威厳と自信を持って教育に当たっていたような気がいたします。そうした中で、教師が児童生徒にいわゆる一定の力を行使することもさして珍しいことではありませんでしたが、すべての当事者があうんの呼吸のもとに、それを教育的指導の範囲と理解し、よほどのことがない限り問題としなかったように思います。少々のことはあっても、不問に付すというふうな信頼関係が前提にあったからだと思います。もちろん不当な暴力や体罰などがあってはならぬことであり、またこの判決にあるように、児童の身体に対する有形力の行使すべてを肯定するものではありませんが、教師の毅然とした態度が教育現場では必要だと思います。児童の身体に対する有形力の行使であっても、その目的、対応、継続時間等から判断をして、教員が児童に対して許される教育的指導の範囲であれば、法で定める体罰に当たらない場合もあるとした今回の最高裁判所判決は極めて当然、妥当なもので、評価すべきだと思います。ややもすると、教師の愛情や情熱から出された行為であっても、前後関係が客観的、冷静に判断されずに、まず教師の側が指弾され、責任追及されることが多いことは残念に思います。異例のケースとはいえ、本県のように体罰かどうかで最高裁までの裁判で争われるということ自体、好ましい決着のつけ方とは思えません。感情的にならず、お互いが寛容の精神のもとに理解し合い、冷静、円満に解決することが重要だと思います。
次に、教職員に過剰なストレスがかからないような支援についてであります。
本来が家庭で行われるしつけが十分なされずに、社会性が著しく欠ける子供の生活指導までも一方的に教師に押しつけ、結果責任を問う現状こそ問題であるという園山議員の御指摘には私も全く同感であります。最近、テレビ、新聞等で見聞きしますさまざまな痛ましい事件、事故について考えるときに、その背景には、家庭環境の多様化とともに、学校教育や子供の教育に対する家庭の意識、価値観が多様化していること、地域社会においても人間関係が希薄化し、教育力が低下しつつあることが大きな要因であると思われます。こうした中で、学校現場ではさまざまな教育課題を抱えつつ、教員は休憩する暇もなく、一人一人の児童生徒に向き合っております。そして、家庭の教育力が低下する中、本来保護者がなすべきしつけの部分を含めて指導しなければならない現実もあります。こうした実情が十分に理解されることなく、何か問題が起こるたびに一方的に学校や教員が悪いとする昨今の社会的風潮にはかなりの違和感を感じ、憤慨さえ覚えます。何もかも学校や教員に責任を負わせる形では、教員も疲弊し、つぶれてしまいます。教師を孤立させず、教師の人権も守り、教師が過剰なストレスを抱えないように、周囲のサポートが必要だと思います。教師のほうにも無論非難されるべき行為や行き過ぎた行動があり、深く反省しなければならない事案も確かに存在をしております。しかし、教師が絶えず周囲から体罰とか行き過ぎ行為と非難、抗議され、常に謝罪を求められ、ましてや裁判ざたになることがあるということであれば、教師は臆病になり、生徒への注意やしつけを放棄して、事なかれ主義が無難であるという空気になりかねません。学校でも生徒に社会的マナーや他人を傷つけてはいけないという、してはならないという常識を教え込まなければならないわけであります。教師は愛情と情熱を持って、自信と信念を失わずに子供たちに接してほしいと思います。
私は教育委員会として、教育現場の実態を理解し、教員を励まし、自信を持たせることも必要であり、それを担保する具体的な支援策が必要だと思っております。現在問題行動を起こす子供の指導に当たっては、学級担任が1人で対応するのではなく、学校が組織として対応し、子供や家庭を支援しております。また、ケースによっては、学校だけではなくて、児童相談所や医療機関など関係機関が情報を共有し、子供や家庭の状況をしっかり把握して、それぞれに応じた的確な支援を行っていく必要があると思います。私は、子供の生活指導においては、学校だけではなく、家庭や地域がそれぞれ役割を果たし、相互に補完しながら、相互の理解のもとに子供をはぐくんでいくといった意識の共有と自覚、実践こそが重要だと考えております。

藤原義光教育長答弁

教師の評価について

やむなく処分に至りました出雲市の中学校に勤務する教師の事案でありますが、ハンドルの改造をした生徒のそれを直すようにということで、工具を渡しまして指示をし、その報告を受けたときに、生徒は直しておりましたけども、その直し方が不十分だということでありました。引き倒して右手でたたいたということで、口の一部が少し切れたというのが事案でありました。この生徒、特に問題行動のあった生徒でもありませんでしたので、教師のほうはこの学校の規律を正すことに大変尽力した教師だということは承知をしておりますが、総合的な判断の中で減給1カ月という処分をいたしたものであります。
私はかねがね現在の教育におけるさまざまな課題に対応するためには、まず現場を信頼し、現場の声に耳を傾け、現場を励ますことが教師のやる気を高めていくことだと確信しております。このことについては、校長、教頭を初め、さまざまな教員の研修の中でも強調しておるとこであります。そういう思いから、一昨年から島根の教育の実状にあわせまして、すぐれた教育活動の表彰を始めております。昨年度は特色ある美術教育、あるいは学校の事務改善、効率化に取り組む中学校の事務職員など、16の教職員、学校、教育団体を表彰いたしました。また、新規採用の辞令交付式では、教育監とともに全員と握手をいたしまして、一緒に頑張ろうということで励ましております。今年度は初めて新規採用の171名すべての採用者から、決意表明文を提出をしていただきました。その中には、目指すは日本一の英語教師、目標は大きく、一つのことをなし遂げたい、心身の健康に留意し、一秒でも多く生徒とかかわる時間を確保していきたいというふうな決意が書かれておりました。こうした教員生活をスタートするに当たりましての初心、原点とも言える精神をその後も持続させ、魅力のある教諭になるよう自己研さんに努め、全人格的に子供たちと向き合ってほしいと話しております。そうした魅力ある教員を減点法ではなく、加点法で評価することは、長所を伸ばすことになり、学校現場の意欲が増進し、スポーツや文化活動などについてもいい結果につながるものと考えております。頑張っている多くの教職員の姿を広く県民の皆様に知ってもらいまして、現場を励まし、支援するような社会的コンセンサスが広がっていくようにしたいと考えております。

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