県議会だより

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平成22年9月定例島根県議会一般質問(1)

人口減少の要因とその対処について

兵法経営塾を主宰した大橋武夫氏は旧陸軍の作戦要務令を用いて経営者の心する事柄を講演されています。この中の「含蓄の令」を紹介しますと、『指揮官は、軍隊指揮の中枢にして、また団結の核心なり。ゆえに、常時熾烈なる責任観念および強固なる意志をもってその職責を遂行するとともに、高遇なる徳性をそなえ、部下と苦楽をともにし、率先敢行、軍隊の儀表としてその尊信を受け、剣電弾雨の間に立ち、勇猛沈着、部下をして富獄の重きを感じせしめざるべからず。為さざると遅疑するとは指揮官の最も戒むべきところとす。これ、この両者の軍隊を危殆に陥らしむることその方法を誤るよりも更に甚だしきものなればなり。他人の非難と賞賛に心を動かさずもの音に驚かない獅子のように網で捕らえられない風のように泥水に汚されない蓮のように他人に導かれることなく、威厳をもち他人を導く人となり、常に、深謀遠慮の天職意識の道を築くなれ。されど、万事を尽くして天命を待つが如し、これ秀たるものの道理なり。これ深謀遠慮の道という。』というものです。
菅内閣がとった尖閣事件の対応は「推移を見守る。しばらく様子を見る。」と、後手、後手で、結局、中国圧力に屈したかたちになってしまいました。まさに、この含蓄の令をお送りしたい心境です。
今年は5年に1度の国勢調査の年であります。10月1日を実施日としてすでに調査票が配布されております。国勢調査の前後は、島根県や県内各市町の人口や人口動態に関心が高まるわけでありますが、島根県が毎月公表している推計人口を見ると、8月1日現在で715,971人となっております。
ここのところ、自然動態で毎年3000人強、社会動態で毎年2000人前後のいずれも減が続いており、毎年5000人程度の人口減少が続いております。
ただ、県内のほとんどの地域で人口減少が続くなかで、東出雲町と斐川町は人口の増加傾向が続いており、出雲市、松江市を加えた2市2町が世帯数の増加あるいは横這いの地域であり、高齢化率が30%未満の地域となっております。
ホームページで公表されている昭和48年以降の統計資料を見ますと、島根県の人口動態は社会動態が概ね2000人前後の減少に対して、出生数の大幅な減少による自然動態の減が大きくなっていることが分かります。
昭和55年まで10000人をキープしてきた出生数は平成16年には6000人を割り込んでいます。
小学校の社会科の国勢調査の学習をした後のテストで、なぜ、人口が減るのかとの問いに、「転入よりも転出が多く、生まれる人よりも亡くなる人が多いから」と回答すれば正解ですが、同じ問いを知事にさせていただきます。
なぜ人口が減り続けるのでしょうか。加えて言えば、人口減少の問題点は何だとお考えになりますか。
人口減少による社会的影響は大きく、減少の著しい地域は高齢化の進行もあって、急速に衰退しています。国土の発展軸からはずれた地域で、頼みとする、産業としての農林水産業の収益性が低下し、農山漁村が就労の場として位置づけられなくなれば、都市部に移動することは自明であります。
3世代同居から核家族化が進行したことは人口減少が続いているのに世帯数が増加していることに明らかです。
島根県は、定住財団の設立によるUIJターンの誘導や就労の場となる企業誘致など、きわめて熱心にこの問題と向き合い、取り組みを進めてきたと思います。
統計を見ると、昭和50年代の初め、昭和51年から55年、平成6年から12、3年頃にかけて、きわめて顕著に社会動態が増加した時期があります。
このころ、何か政策的に大きな動きが見られたのでしょうか。昭和50年代の初めというと島根医大やムラタの誘致などを思い浮かべるのですが、過去、島根県の行政が人口問題にどう取り組み、どんな効果を上げているのか、また、何が足りないのかをお示しいただきたいと思います。
合計特殊出生率の推移は言うまでもなく、低下の一途で、これを回復するためには、結婚して子供をたくさんつくってもらわなくてはなりません。
フランスでは、婚外子の認知など戸籍や婚姻の法制を大きく変更したことで出生率を大幅に増加させたとのことでありますが、私は賛成しかねます。
わたしが、気にかかることは、独身の男女がきわめて多いこと、フリーターと呼ばれる定職を持たない人が許容され、就労の場が全く無くはないのに、職業選択の自由と称して就労せずに、生活保護や保険給付を申請することが半ば常態化していることであります。
結婚して家庭を持つこと、そして子をもうけることが生物としての人間の摂理であること。働くことは人としての義務であることが権利の主張に劣っているのではないかと思うのであります。
人口の増加は一朝一夕では果たせないことかも知れませんが、政策的に人口増加を誘導した国内外の顕著な成功事例があればお示しいただきたいと思います。
また、結婚問題に対する県の取り組みはまったく進展していません。知事は、この問題に対する関心がきわめて低いように思いますが、今後、どのようにお取り組みになりますかおた尋ねいたします。

溝口善兵衛知事答弁

なぜ人口が減り続けるのか

議員御指摘のように、このところ、自然減で年約3,000人、社会減で年2,000人程度、合わせて年5,000人程度の人口の減少が続いております。
まず、社会減でありますが、これは人口の高齢化が進んで、出生数よりも死亡者の数が多くなってきてるからであります。この背景はまた後で申し上げますが。大体、自然減に転ずるのが、ずっと自然減であったわけじゃないんです。自然減が生ずるのは、1990年代の初めぐらいです。つまり、それまでは、出生数がそれでも多かったんです。その後、出生数のほうが死亡者数を下回ることになって、自然減が20年ぐらい続いてきていると、こういうことであります。
じゃあ、なぜ高齢化が進むかといいますと、これはやはり、主として県内に雇用の場が十分ふえないために、雇用を求めて県外の大都市などに出る人のほうが、県内に入ってくる人よりも多い状況がずっと続いているからであります。それが顕著なのは、産業の発展が余り進んでない県の西部、それから離島です。社会減の大半はそういうとこから生じてるわけであります。
じゃあ、なぜ県外の大都市のほうに行くのかというと、それはやはり県内より魅力のある職場がある。大都市のほうが早く発展している。大企業がある。企業も大きくなる。そういうことがありますし、もう一つ、大学に行くために県外に出る若い人たちもいます。その人たちは、大学卒業して戻ってくればいいですけども、これも県内の職場よりも県外の職場のほうが魅力的、あるいは県内に本当はいい職場があるんだけども知らないということもあるいはあるかもしれませんが、県外にとどまると、こういうことになるわけであります。このために、若い世代において子どもを産む世代が減りまして、県内で、そのために出生者数が少なくなっている、これが自然減の大きな理由です。むしろ寿命はずっとこの期間長くなってますから、死亡する側がどんどんふえていくということでもないと思いますが、そういう状況です。
それから、これは後の結婚問題に関連するわけですけども、県内に若い人が残っても、若い人が結婚をしない、あるいは結婚してもいろんな理由から子育てが難しいとか、いろんな理由から、子どもをかってのように3人、4人産むというようなことが少なくなってる。これによっても出生者数が減ってる、こういうことであります。つまり、自然減は、今申し上げたような社会減が背後にあって、この自然減が起こってきてるということであります。
じゃあ、なぜ社会減が起こるのかということでありますが、それは例えば、東京、関西等々の大都市で経済発展が早く進んだ。特に、明治維新までは藩政がとられてましたから、人々の移動は自由ではありませんし、それから物資の全国的な交流もそうあるわけじゃありませんから、江戸時代まではそんな動きは余りないわけであります。その時代は島根も非常に人口が多いんです。それから、明治になって、国民経済というのが成立をしてって、人の移動が自由になる。あるいは、東京などに新しい文化が入る。そこに集積が起こる。それが続きますが、本格的に大都市に集中が続くというのは戦後のことです。特に、高度成長が始まります。日本と欧米との格差がありましたから、欧米から高い技術を持ってきて生産をすれば、国民はテレビを買いたい、自動車を買いたい、洗濯機を買いたいということです。今、中国で起こってるようなことが日本で起こったわけであります。そうすると、そこに職場がふえます。それから、給料も上がります。ポストもふえます。だから、そういう場が、多くの地方に住む人にとって魅力的だったから、そこへ若い人が出ていったと、こういうことなんです。
島根にも魅力的な職場があるわけであります。農業もあります。林業もあります。しかし、相対的には、第2次産業あるいはサービス産業というものの拡大のほうが早くなります。発展するときは大体そうですけども。じゃあそういうものが島根にできて、島根でそういうところで雇用を創出すれば出ていかなくてもいいんですけども、それが起こらなかったということです。それは一つには、やはり拡大する大都市のほうは、もう既に東京、大阪で大都市を形成してます。そこに人が集まります。大企業が集まります。本社が集まります。そこで消費もふえるわけですけども、そういう大きなマーケットと島根県は非常に遠かったと。日本の中でも非常に遠いとこです。それは、関東圏なんか見ればよくわかるわけです。東京だけじゃなくて、千葉も神奈川も埼玉も拡大をするわけです。首都圏を形成するわけです。だんだん大都市圏が広がっていくというプロセスが起こってるわけですけども、そういうプロセスが島根に及ぶことが難しかったのは、やはり交通網が十分整備されていない、遠いということです。
それから、企業経営ということで言えば情報もあります。情報の、先進国の情報あるいは流行等の情報もなかなかこの地まで来なかったわけです。それが、例えば企業誘致をしようと。大企業も東京だけで生産しているわけじゃないです。工場は生産がふえるにつれて名古屋のほうに来る、あるいは中国地方に来る、あるいは東北に行きますけども、それでも不便なところには立地をしないわけであります。それが島根などの不便なとこが発展におくれた理由であります。発展がおくれますと雇用がふえませんから、人口は、若い人が外へ出ていきますから人口が減るということで、社会減が起こるということです。
そういうことがずっと起こってきたというのが、この人口の減少です。
県内で見ると、出雲部ではまだ企業誘致がかなりあって、村田の例なんかも引かれましたけれども、誘致があって、県外からの企業の進出によって社会減が少なかったということがあります。そういう立地がないところは、どんどん社会減が起こっている。こういうふうに見ております。

溝口善兵衛知事答弁

人口減少への対応について

そこで、じゃあなぜ人口の減少が困るのかといいますと、それは減る社会ではいろんな社会的な活動が不活発になってきます。若い人がいませんから、子どももいない。子どもが少なくなる。学校も小さくなる。あるいは、学校も廃校になってしまうかもしれない。中山間地域で起こったわけでありますけども、そうすると、地域の文化を担う人もいなくなる。若さが、活力が、その地域から失われていくということが大きな問題です。
それから、人が少なくなりますから、小売とかの商業も難しくなってまいります。空き家が出てまいります。いろいろありますけども、社会全般が不活発になる。あるいは、農業なども、若い人が帰ってこないと、後継ぎがいないということで、農業そのものも発展が難しくなる。
そういうことでありますし、社会的にそういう問題が起きますが、個人にとってもそうなわけです。人が少なくなる、住宅事情が少なくなれば、地価は下落します。いわば自分の資産価値が下がってくる、持っている資産価値が下がるということが起こるわけです。発展するところはどんどん地価が上がっていきます。それから、そういう経済的な格差が起こります。それから、発展する企業があるところでは給与がどんどん上がっていきます。それにおくれるわけであります。それは物質的なもんでありますけれども、文化とかそういうものにも影響が及ぶという問題があるわけです。
それから、個人的に見ても、例えば農家などで、先祖代々その土地を耕す、そのためにどういう技術が必要かという蓄積があるわけでありますけども、そういうものが受け継がれないと、いわば無形の資産というようなものの価値がなくなっていくという問題が起こるわけであります。
そういうことで、御承知のような問題が起こるんで、じゃあ何をしたらいいかというのが、次の問題になるわけです。
やはり一番の基本は、この地で雇用がふえるようにしなきゃいかんということなんです。雇用がふえて収入がなければ、結婚して子育てもできないわけであります。そのために、やっぱり産業を興していく。それは県内企業が大都市などに売れる魅力的なものをつくる。安いけどもいいものができる。そういうことをしなきゃいけません。そのためには、農業においても、漁業においても、いろんな技術の進歩を取り入れていかなきゃいけませんし、いいものをつくらなきゃいかんわけであります。それから、製造業などは、やはり一定の技術を要しますから、大企業などに進出してもらうというのも必要なことです。日本の地方で発展をしてるところは、そういう大企業の工場の進出が非常に多かったということです。島根は、若干はありますけども、ほかと比べれば少ない。したがって、県内産業を育成する、農林水産業も支援をしていく。さらに、企業誘致も行う。そういうことを総合的にやっていくほかないということでございます。
それから、県外に出た若い人の中では、県内で就職の場があるというのを十分知らないというようなことがありますから、そういう就職情報を定住財団を通じて県外の人たちにも知らせる。そうすると、そういうのを見て帰ってくるというのがかなりあります。定住財団でやってる仕事の一つはそうです。それから、農業とか漁業とかに都市の人たちがIターン、Uターンで帰ってくるようにする。こういうことをやっておるということであります。

溝口善兵衛知事答弁

人口減少に対する今後の課題について

それから、人口をふやすということでは、結婚しないとふえませんし、議員がおっしゃったように、結婚をなぜしないのかというアンケートなんかを県もやっとりますけども、独身でいる理由の最も多かったのは、適当な相手にまだめぐり会わないということであります。そういう意味におきまして、めぐり会いの場をいろいろな形でつくっていくということも非常に大切なことだと、私は考えております。例えば、そういう面で言いますと、昔のような仲人による結婚は少なくなっておるわけでありますから、ボランティアでありますハッピーコーディネーターというような方にそういう紹介役をやってもらう。あるいは、男女が集まって話し合いができる場をつくる。そういうことを民間がやられます。そういうものに対して県が支援をする。こういうことにつきましては、さらに努力をしていきたいと思います。
それから、もう一つ大事なことは、結婚をしても、やはり子育てがやりやすい環境にならないと、子どもをたくさん産むということはできないわけであります。そういう意味で、今は男女共同参画と申しますか、夫婦で働くという例もふえておるわけでございます。職場で子育てがしやすいような仕組みを導入したり、企業のほうにそういうことが可能になるような雇用制度をとってもらうように、県がPR等を行っていく。あるいは、社会全体で子育てを支援をするということで、こっころカンパニー事業を行っておりますけれども、そういう企業を表彰するとか、あらゆることをやっておるということでございますが、まだまだいろいろいい知恵もあると思いますし、先進事例を勉強したり、皆さんの意見を聞いたりして、人口の減少あるいは子どもがふえるような施策をとっていきたいと思いますし、私は産業の振興ということを常々言ってますが、その背後には、この人口問題、子育て、子どもをふやす、社会を活性化するということがあるからであります。
それから、取り組みについては、今申し上げたとおりでございますけども、こうした効果あるいは今後の課題についてということがありましたが、今言ったような施策をどんどん進めていくということが、引き続き今後の課題であります。
ただ、私が常々言ってますのは、東京とか大阪が発展をしたのは、そこにいる人たちが優秀であると、ほかの地域よりも、あるいはよく働くからということではないんではないかと思うんです。それは、やはりそういう企業が発展しやすいような政策が明治以来とられてきた。戦後もそうです。そういうことがあるんじゃないかと思います。その一つがインフラの整備なんかがあるわけです。人が多くなれば学校もつくらなきゃいかん、道路もつくらなきゃいかん、下水道もやらなきゃいかん。そういうふうにして便利になりますと、そこに文化の集積ができ、あるいは教育機関も集まってくる。そうすると、人はどんどん行くということになります。つまり、国の発展は国の政策に大きく依存しているということです。
それから、私も知事として知事会なんかで見てみますと、そういう地方部、発展のおくれた地方部に対する温かい目というのは、必ずしも国政においても十分でないなという感じがします。それは地方の実情をよく知らないということが背後にあるんじゃないかと、私は感じておるんです。私も、東京などに長くおりまして、それからまた島根で知事として県内の事情をいろいろ見てまいります。知事会などで東京へ行きます。中央省庁へ参ります。しかし、地方のことに対する知識が非常におくれてるなと。道路というと、地方の道路は大体無駄ぐらいに思ってる人が多いわけであります。だから、国民の意識を変えるようなことをしないと、なかなかこの問題というのは解決しないというのが、私の考えでありまして、そういう意味で、国に対しまして、地方の実情を我々が訴える、そして国の政策が少し地方に配慮したものになるように、我々が努力していく、それが大事なことではないかと考えているとこであります。

藤原孝行政策企画局長

島根県の人口動態と全国の定住政策の成功事例について

1点目は、島根県において、昭和51年から55年にかけ、また平成6年から12、3年ごろにかけて社会動態の人口減が抑えられた時期があるが、何か政策的に動きが見られたのか伺うという御質問についてであります。
昭和50年に島根医大、平成7年に看護短大、平成12年には県立大学の開学があり、これらにより、一定の人口増につながったものと考えております。また、社会動態は景気の状況により影響を受けており、景気がいいと地方部の社会減が進む、景気が悪いと社会減が少ないといった傾向がございます。この社会増した時期は、オイルショック後、あるいはバブルの崩壊時期などに当たり、全国的に都市部における雇用環境が厳しかったことから、地方部における転出が少なかったものと考えております。
2点目は、人口増加を誘導した成功事例についてであります。
都道府県と企業等で構成する移住交流促進機構というのがございますけれども、こちらを通じて、国内の代表的な事例を2つ紹介していただきました。
1例目は、洞爺湖の近くにある北海道伊達市で北の湘南と呼ばれております。高齢者向け住宅や病院等の医療機関が充実しており、これらが5キロメートル以内の市街地に集中するようコンパクトなまちづくりがなされております。また、四季を通じて温暖なため雪が少なく、北海道内から定年退職などを機に移り住む人が多く、毎年100名程度の人口の社会増となっております。
2例目は、八ヶ岳の近くにある長野県原村で、東京に一番近い元気な村と呼ばれております。福祉と健康を重視した村づくりを目指しており、老人医療費や中学3年生までの医療費が無料となっております。また、高原の村として冷涼な気候であり、中央道の諏訪南インターチェンジが村内にあることから、人口は8,000人程度の規模の村ですけれども、都会からの移住者を中心に毎年50名程度の人口が増加しております。

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