県議会だより

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平成23年6月定例島根県議会一般質問(1)

知事の所信表明について(1)

まず、知事の所信表明についていくつか尋ねる。
行政の役割を果たすためには、予算編成が必要で、何よりも裏付けとなる財源の確保が不可欠だが、国政を見ると、この財政規律が完全に喪失しているように思える。税収が年間予算の40%で、残余が国債では、いずれ財政破綻で国家は崩壊する。
国民が政権交代を選択したのは、「このままでは、いずれ立ちゆかなくなる」という問題に対して、きちんとしたメッセージを発しなかった自公政権に愛想を尽かしたからであり、「ムダの根絶」という民主党に期待したからである。
翻って、現状はどうだろうか。マニフェストの給付部分ばかりが強調され、スクラップすべきもののほとんどが手つかずのまま1年6ヶ月が経過した。権力維持にのみ固執する姿勢は醜く、嫌悪感すら覚えるのである。
しかし、政権与党は3月11日の東日本震災の発生によって国政の方向を大きく変えなければならない。政治は「いま一番必要とすること」に対し、迅速、かつ適切に対応しなければならないのである。
「いま、一番必要なこと」が震災被害者の救難と被害地の復興、原発事故の収束、放射能飛散の防止であることに異を唱える国民はごく少数である。となれば、政府は、予算を組み替えるか、増税のいずれかを選択して必要な財源を確保し、所要の経費を確保しなければならない。
私見を述べれば、震災の復興に要する経費は、今回の震災で直接の被害を免れたすべての国民で負担すべきだと思う。年金受給者や生活保護家庭をも含め、すべての国民が収入の1%を復興経費として負担することが適当だと思う。それが、日本人の心意気だ。
被災地を訪れると、何不自由なく、普通に暮らすことがどれだけ幸せなことであるかが実感できる。屋根の下で、布団の上で寝る。電話がつながり、時刻表通りにバスや電車が運行する。水道栓を回すと飲める水がでる。田畑や海の収穫物を食べるなど当たり前のことがどれだけ価値のあることかを痛感するのである。
この、震災を契機として、私たちは少し「我慢をすること」を心がけなければならない。行き過ぎた欲求から脱し無ければならないのである。それは、行政も同じだ。身の丈を超えた給付に行政も住民も慣れ、膨大な借金を積み上げてきたことに決別する時が来たと思う。この際限のない要求は、「胃瘻」に象徴的である。県内で病院の医療病床や特老、老健など168施設9524床で1329人もの人に処置されている。行政が打ち出の小槌を持つならいざ知らず、際限のない借金を原資として、必ず約束されている「死」の延長をしているのである。
私たちが行政に支払う対価すなわち税と給付を今こそ考えるべきである。「スクラップアンドビルド」の徹底こそ、古くて新しい課題であり、われわれ、政治に携わる者の責務が住民への説明、対話、説得なのだと痛感する。

さて、そこで問うが、行政が住民に供すべきサービスの範囲はどこにあるのか。増大する住民の要求に対する負担と給付の関係をどうするのか。国債などの借金で賄うことを容認できる範囲をどこに置くか。

溝口善兵衛知事答弁

行政サービスの責任範囲について

園山議員の御質問にお答えを申し上げます。
最初は、医療でありますとか福祉でありますとか、行政のサービスの範囲をどのように考えるかということ、そして負担と給付の関係をどのように考えるのか、また、今事実上借金でこうした負担をファイナンスしているというような状況にありますけども、その限度はどうかという御質問でございます。
あわせて一緒に申し上げますが、サービスの範囲をどうするか、給付の範囲をどうするかということ、範囲というのは、どこまで対象にするかと、いろんなことがあるわけですけども、給付全体をどう考えるかということだろうと思います。それは人によって随分考えが違うと思いますね。歴史的には、そういうことを政治のプロセスで、給付に対する負担もあわせて選択をして、制度が今日に至るまでできておるわけですね。したがって、そういうものを変えていこうとすると、白紙で書くわけにいきませんから、現在あるものにおける問題点は何か、そういうものについてのいろんな方法は何か、そういう提案がいろいろあって、そういうものを選択して、さらに進んでいくというプロセスを通るわけでございます。
そういう意味で、いわば政治のプロセスで決まり、最終的には国会の法案でありますとか、そういう過程で議論を経て制度ができるわけでありますけども、それについても万全ではないわけですね。いろんな問題があるから今のような状況が起こっておるわけであるというふうに思います。
そういうことを前提にして考えますと、全体的に見れば、やはり大ざっぱに、個々の制度をどうするというとこまではなかなか決められませんけども、全般として、年金でありますとか医療でありますとか福祉でありますとか、そういうものについては、これまで中福祉中負担という考えで来てると思います。基本的にはやはりこれが国民の支持をするところで、多くの方が支持をするところでありますから、そういうことを前提に考えるほかはないだろうと。個別にどこまでするかというのは、やはり個別の制度の中でよく議論をしないと決まってこないと思いますけども、全体の話としてはそうだろうと思います。
ただ、問題は、それで来ましたけども、国の財政の赤字やいろんなものがありますけども、やはり年々社会保障、社会福祉等に関連する分野が大きくなって、その部分に占める割合が今後もどんどん拡大をしていくということであります。それは少子高齢化が進む、あるいは医療技術がどんどん進歩する、それに伴って給付も拡大をしつつ、いろんなことがあるわけですけども、しかし現実には、そのために国家財政全体として、あるいは地方もいろんな形で福祉、医療等にも関与し、単独でもいろんなことをやってるわけでありますし、国、地方を合わせて大きな赤字が生じておりますから、そういう意味で、制度の持続性について大きな問題が生じているということであります。このまま続ければ、議員が御指摘になったように、経済全体に大きな問題が生じ得ると。そういうものを生じないように、福祉の制度、医療の制度を維持をしていかなきゃいかんわけであります。
そこが現在問題になってるというふうに理解をしてるとこでございますが、やり方はいろいろあって、これがいいとか、一概には決めにくいと思います。やはりそれはいろんなアイデアを俎上にのせて、それを公開の場で議論をし、最終的には政治のプロセスで、この案を主張する政府が、あるいは多数派が仕組みを決めるということにならざるを得ないだろうというふうに思います。したがいまして、私は基本的には中福祉中負担ということだと思いますけども、現実にはそういう仕組み、現状の仕組みではそれが維持できない仕組みになってるから、その問題に国全体として取り組んでいかなければならないと、私どももそういうものについてよく考えていかなければならないというふうに思います。

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