県議会だより

Reports

平成25年11月定例県議会一般質問(4)

歴史認識について

近年の中、韓の歴史認識の変化について小生は大きな違和感と嫌悪感を覚えますが、知事はどう感じていますか。(知事)

かつて小生が中学、高校の時代に社会科担当であった先生はいずれも大正生まれで、明治期から昭和期のいわゆる近、現代史について詳しく教えられました。いずれの先生も戦争体験があり、「歴史的な事実を教えるからその歴史的評価については成人となってからきちんと考えなさい」というスタンスを取られたように感じています。しかし、先日、県の幹部職員と懇談したときに、誰一人として日本の近、現代における中、韓、台湾などとの交渉史について「知らない」「学習していない」と言われ、愕然としました。台湾の大統領府である総統府が旧日本総督府であるのに対し、韓国は旧総督府であった韓国銀行庁舎を占領時代の遺物として20年ほど前に取り壊ししたように、かつて日本が統治した台湾と韓国には歴史認識に大きな違いがあるが、少しこの場にいる皆さんで歴史を勉強しようと思います。
日本が台湾や朝鮮に進出する際に設立した国策会社は何と言いますか。(政策企画局長)
朝鮮には本位貨幣制や義務教育制がなかったと聞きます。日本が朝鮮や台湾に設立した中央銀行は何と言いますか。また、日本が統治を始めた頃の文盲率はどうでしたか。(教育長)
日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏し、サンフランシスコ平和条約を経て国際社会に復帰しました。戦争終結時に朝鮮と台湾に有していた日本の公的な資産、民間資産はどのくらいで、どのような処理がされましたか。(総務部長)
八田與一について説明してください。(土木部長)
安重根とはどのような人物ですか。(環境生活部長)
明治以降の日本の公娼制の変遷について問います。1873年公娼取締規則はどのようなものですか。(環境生活部長)
1900年公娼取締規則が改正され、娼妓取締規則が公布されましたが、どのような内容ですか。
(総務部長)
終戦時にポツダム勅令によって娼妓取締規則は廃止されましたが、公娼制は売春禁止法の施行まで存続しました。赤線について説明してください。(地域振興部長)

台湾には八田與一の銅像が建ち、韓国政府がテロリストである安重根の記念館、記念碑をつくるとしていることが台湾と韓国の大きな違いです。一方的な歴史認識を押しつけられても、史実について全く「知らない」「学習していない」では反論もできませんが、それが、いまの日本の実態で、まことに残念です。知事は歴史教育の必要性についてどのように認識していますか。(知事)

溝口善兵衛知事答弁(1)

中韓の歴史認識の変化について

最近の中韓の動きを見ますと、議員が御指摘のような面も見られるわけであります。中国、韓国におかれまして、人々がかつての過去のことについてどのように語り継いでいるかとか、あるいは記憶されているかとか、それは個々人でいろいろ違っておるでしょうが、最近の一つの特色は、やはりメディアの発達です。特にインターネットの発達、誰でも瞬時に世の中のことを知ることができる。ソウルでこういうことがあった、あるいは日本でこういうことがあった。あるいは、中国において、ここの地区でこういうことがあった。瞬時に多くの人が映像で強いインパクトを受けます。特に、日本との関係などにつきましては、非常に関心も高くなっておりまして、そういうものがメディアを通じてばっと広がる。それが、またメディアを通じて増幅をする。メディアも新聞、テレビに限らないわけでありまして、むしろ最近はスマートフォンですか、そういうものを通じてわっと広がるようになってますから、考え方自体は近年になって急速に変わったということではなくて、そういうものに対する関心が国民の間で広がってると。したがって、そういう問題を政府が対処するのが非常に難しい状況が、両国においても生じている面があるんではないか。特に、中国におかれましても、政治の民主化と申しますか、あるいは国民の意見をよく聞かなきゃいかん状況になってきておるわけでございます。執行部が、指導部がこうしたからこう従うというような時代でなくなって、多くの人が自由に発言し、自由に行動する。あるいは政府の批判をする。韓国も似たような状況があるわけでありまして、そういう意味で、それぞれの国における状況の変化ということも、この問題の政府レベルでの話し合いだとか解決だとか、それに向けての話し合いといったものがすっとできるような状況に必ずしもない。そういうことをするためには、いろんな準備をしたり、あるいは見えないところでいろんな相談をして、やっていかなきゃいかん。非常に難しい状況になっておるということではないかというふうに思います。

溝口善兵衛知事答弁(2)

歴史教育の必要性について

歴史を学ぶということは、どこの国にとっても大変大事なことであります。ただ、歴史はあったことを、結局は大勢の人がそれに直接かかわったわけでありませんから、かかわった人とかが一定の評価をしてつくられていくわけであります。歴史教育のほうは、教科書なんかですと、これは一定のチェックをして、日本の場合では教科書の検定を通じてそういうものがなされるということでありますし、そういう制度は、国によっていろいろ違うだろうと思いますが、一般論として申し上げますと、子どもたちに国やあるいは郷土を愛する気持ち、あるいは誇りを持っていく、そういうことを日本の歴史教育においてもなされなければならないし、そういう意味で、歴史教育というのは大事でございますし、他方で、各国それぞれの評価がいろいろありますけども、そういうものはありますが、やはり世界は相互に依存をしとるわけでございます。そして、平和が実現をされるということが、みんなにとって大事なことでありますから、やはり幅広い視野を持った子どもたちを育てる。両方を国の教育において行っていく。各国もそれを目指しておるんでしょうが、歴史の評価について違いがありますから、そういうものについて、日本でも正しい理解が進むように努力をすべきだというふうに思う次第であります。

藤原孝行政策企画局長答弁

日本が台湾や朝鮮に設立した国策会社について

日本が朝鮮半島に進出した次代に設立した国策会社ですけども、朝鮮韓国近現代史事典によりますと、1908年に、当時の大韓帝国に東洋拓殖株式会社が設立されたというように記載されておりまして、同社の主な目的は土地買収ということであります。農地の貸し付けなど、朝鮮における産業資本の育成開発に当たったとされております。
次に、台湾ですけども、台湾総督府に関する書籍によりますと、1936年に台湾総督府と日台民間資本の共同出資などにより、台湾拓殖株式会社が設立されたとされています。同社の目的は、台湾と華南や東南アジアの経済活動を推進することとされております。

今井康雄教育長答弁

朝鮮や台湾の貨幣制度や文盲率について

まず、日本が朝鮮や台湾に設立した中央銀行ということでありますが、まず朝鮮ですが、朝鮮韓国近現代史事典によりますと、1905年に日本の第一銀行ソウル支店に中央銀行業務を代行させまして、1907年には韓国銀行が設置され、1909年から中央銀行の性格を持つようになったというふうにされております。
また、台湾につきましては、アジア歴史事典によりますと、1899年に台湾銀行を開業いたしまして、台湾での貨幣整理、国庫事務の取り扱い、政府貸上金、公債引き受け等の業務を担ったというふうにされております。
次に、文盲率についてお尋ねでございました。台湾についてはちょっと承知しておりませんが、朝鮮について申し上げますと、ただ朝鮮についても、日本が統治を始めたころの文盲率の公式データは承知をいたしておりませんが、1999年、東京大学大学院の研究者の論文「植民地域朝鮮における識字調査」という論文でありますが、これによりますと、1930年に朝鮮総督府が実施をいたしました朝鮮国勢調査におきまして、これは識字率について調査がしてございます。その結果、お尋ねにございました文盲率、文字の読めない人の割合が、男性で63.9%、女性で92.0%、総数で77.7%ということが記載をされております。

楫野弘和総務部長答弁

戦争終結時の対外資産と娼妓取締規則について

終戦当時に朝鮮及び中国に存在しました日本の財産につきまして、ちょっと調べましたが、この引用が、平成13年の東京高裁の判決文の中に、在外資産調査会が1945年8月15日現在の我が国在外財産評価額推計という形で引用されておりまして、この中で、当時の貨幣価値で朝鮮が702億5,600万円、台湾が425億4,200万円とされております。
その後の処理でございますが、外務省のホームページによりますと、日本政府はさきの大戦に係ります賠償並びに財産及び請求権の問題については、サンフランシスコ平和条約等に従って対応してきたところであり、条約の当事国との間では法的に解決済みとしております。サンフランシスコ平和条約では、条約当事国に対して、日本国と日本国府の在外財産につきましては、相手国にその処分権を認めております。また、1965年の日韓請求権経済協力協定によりまして、財産請求権問題解決されたことを確認するとともに、5億ドルの経済協力が実施されたとされております。
現在の通貨に換算いたしますと、計算方法にもよりますが、朝鮮が15兆円から22兆円、台湾が8兆円から13兆円と試算をされるようであります。

娼妓取締規則につきましては、1900年、内務省令として定められたものでございます。この規則では、娼妓就業は当人の意思によるものであり、警察への登録が義務づけられること。18歳未満は就業できないこと。何人といえども、娼妓の廃業を妨げてはならないこと等が定められております。

宮川治土木部長答弁

八田與一について

八田與一についてでございますが、私も以前、土木学会の講演会で、この人の業績等話を伺ってございます。改めてインターネットで調べたところ、八田與一氏は、明治43年、当時日本統治下にありました台湾に技術者として渡航し、台湾の農業水利事業に貢献した人物だとされております。同氏は、台湾南部の華南平野におきまして、当時アジア最大と言われた烏山頭ダム、そして総延長1万6,000キロメートルに及ぶ用水路の整備を指揮し、不毛の地と言われた同平野が台湾最大の穀倉地帯になる礎を築かれたということです。
また、台湾では、現在でもその業績が評価されており、同氏の銅像や記念館が設置され、同氏の命日には毎年慰霊祭が行われているということです。また、台湾の中学生向けの教科書にその業績が紹介されているということです。

丸山達也環境生活部長答弁

安重根と1873年の公娼取締規則について

安重根は1909年に中国のハルビン駅で初代の韓国統監を務めた伊藤博文元首相を暗殺し、死刑判決執行を受けた人物であるというふうに認識しています。定義にもよるかと思いますがテロリストといった受けとめ方もできようかと思います。

公娼取締規則は、1872年に日本国内の芸娼妓売買が問題化したため、政府が芸娼妓解放令を布告し、人身売買の禁止、また前借り金の無効を宣言をし、その翌年となる1873年に東京におきまして、貸座敷渡世娼妓芸妓規則が定められるなど、各地方での公娼取締規則が制定されたことを指すものと認識いたしております。

西山彰地域振興部長

赤線について

ポツダム勅令でございますけど、公娼制に関するということになりますが、1946年に、当時のGHQが、日本の政府に命令を出しまして、政府がポツダム勅令を出して、先ほどの娼妓取締規則を廃止されました。
いわゆる遊郭と呼ばれるものは、そのときに赤線という名前に変わりまして、そのまま1958年まで存続しております。その赤線というのは、半ば公認で売春が行われるところということで、当時、警察が地図に赤線でくるっと囲ってたということから、赤線というふうに呼ばれているというふうに伺っております。

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