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2月20日、冬のスポーツの祭典である第24回冬季オリンピック北京2022が幕を下ろしました。アメリカなどの外交的ボイコットで、開催前から不穏な空気が流れ、世界的にオミクロン株による新型ウイルスの蔓延の中で、居並ぶ全身防護服の人たちによる徹底検査や外部との接触を遮断するバブル方式など、中国式の統制下で開催された大会でしたが、18個のメダルを獲得した日本人選手の活躍をはじめ、スポーツならではの数々のドラマや感動に遭遇した機会でありました。
先日、県の職員さんと意見交換を行ったとき、いま日本に法律と名のつくものがどのぐらいあるだろうかと言った意見交換をしました。皆さんが一様に顔を見合わせ、県や自治体の条例を含めると天文学的な数字になろうが、何か一つの問題が生じるとそれに対応して法律改正や新しい立法措置など法令規則が施行され、ほとんど大多数の善良な人たちに関係のない事項でありながら、一部の不心得な人たちのために法令や規則ができ、法制化によって善良な市民の生活に大きな戸惑いや行為の制限が生ずることが少なくない。こうしたことを話し合いました。
保育所落ちた日本死ねというブログを端緒に待機児童解消が国家目標となり、保育士の養成はおざなりのまま、極めて短期間に保育所の増設が行われました。保育士の給与、待遇が他産業に比較して安いと報道されると、現場の保育士が不足する中で研修を義務づけした処遇改善が行われました。さらに追い打ちをかけるように、幼保一元化、幼保連携などの必要が叫ばれ、短兵急に運営要領や保育指針が改定されました。保育所、幼稚園の保育士、教諭の資格や免許は2年の養成校の在籍で取得できますが、運営要領や指針の大幅な改正に対応するためには在職者に対する研修が不可欠です。しかし、待機児童解消を第一に子どもの入所を優先させる権限者である自治体の要求に応えている現場は、処遇改善の義務づけ研修に加えて、運営要領や保育指針の改定に応える研修を実施する必要があり、それがまた現場の苛酷さを倍化しています。
今回質疑で取り上げる事項は、事前に十分な調査や準備をしないままの法令改正や行政の措置命令、制度改正、言い換えれば問題が生じた事象に対する拙速な行政対応が社会に、または現場に混乱や戸惑い、ひいては萎縮を生じさせる元凶となっている、あるいはなりかねないことを指摘するものであります。一部は必ずしも県行政から逸脱するかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。
初めに、懲戒権規定の削除についてであります。
法制審議会は、親が子を戒めることを認める民法の懲戒権規定を削除し、新たに親権者の子どもに対する体罰を禁止する規定を新設する方針を決定し、古川禎久法相に答申しました。仄聞するところでは、その内容は懲戒規定を削除する代わりに、親の行動について、子の人格を尊重するとともに、子の年齢及び発達の程度に配慮しなければならないとの規律を設けた上で、体罰、その他の心身に有害な影響を及ぼす言動の禁止を明記するとのことであり、現行民法に規定されてきた懲戒権についてはその具体的な方法について定めたものはないと承知していますが、従前、親権者の懲戒権の行使方法はどのようなものがあると考えられてきたでしょうか。(総務部長)
そもそも親権者の懲戒権は子の利益のために行使されるべきものであり、平成23年の民法改正で、子の監護及び教育に必要な範囲を超える行為、いわゆる体罰等の暴力行為などは懲戒権の行使としては許容されないことは自明となっていたはずです。今回の懲戒権規定の削除により社会にどのような状況が予測されるでしょうか。(知事)
国連の子どもの権利委員会による人権解釈では、体罰を徹底することは社会のあらゆる形態の暴力を減少させ、かつ防止するための鍵となる戦略であると明確に述べています。体罰によらないしつけや子育て、教育が社会的要請とされますけれども、親権者が子どもの養育、保護の役割と健やかな育ちの支援を果たすためには、体罰の禁止が子どもにどのようなプラスをもたらし、子どもとの関わりをどのようにしていくのかを、国、地方公共団体は法の規定の削除を機会に、暴力的な言動によらない、子どもの発達に即した建設的で肯定的なしつけ、子育て、教育に関する啓発と支援を主導すべきと考えますが、知事の御見解をお尋ねします。(知事)
懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項として、学校教育法第11条に定める、校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童生徒及び学生に懲戒を加えることができる、ただし体罰を加えることはできないとする条文の見直しが提起されたと聞いておりますが、県教委としてはどのようにお考えになっておりますのか、御見解をお尋ねいたします。(教育長)
また、さきの報道では、島根県内の小中学生の学力が伸び悩んでいるとのことですが、県内の子どもたちの学力がさほど上昇しない要因の一つには、競争という場が少ないことがあると思います。15の春の高校受験では、県立高校の競争率は1.0を大きく下回り、他県に比べて緊張感は希薄ではないかと考えます。また、鍛えるということが一様に体罰と結びつけられ、働き方改革や個人情報の取扱いなどもあって、教職員の負荷は増すばかりではないでしょうか。県教委は高校定員について大きくは変更せず、現行の学校の存続を基本とした高校の配置方針を提示していますが、各学校の定員は入学試験で一定の競争倍率が確保できるまで絞ることが必要ではありませんか。その上で、浪人対策として再試験や追試で救済する方法もあろうかと思います。島根県の子どもたちの学力が伸長しないのは、さほどの必要がないという一面があるからです。学校を卒業すれば実社会で厳しい競争が待ち受けているのであり、現行のぬるま湯的な高校受験については再検討が必要と考えますが、教育長の御所見をお尋ねいたします。(教育長)
懲戒権の規定とは事象が異なりますが、法律改正に伴う行政の対応としては外壁のリシンの問題があります。リシンの吹きつけはモルタル外壁の最終的な仕上げの一種で、上塗り塗装の際、細かく砕いた石や砂などの骨材と樹脂やセメントをスプレーガンで吹きつけて施工することで独特のざらざらとした表面の外壁を作り、比較的安価であったことから、昭和50年代に施工された多くの建物の外壁に使われてきています。リシン吹きつけや吹きつけタイルで外壁を塗装した場合は、施工時期によってはアスベストを含んでいる可能性があると言われています。昭和から平成にかけて施工された多くの外壁が耐用年数を迎え、建物の解体時や外壁の修繕の際に高額のアスベスト処理が必要となる場合があると思われます。施工時には合法であったものが法改正で違法となり、高額な処理費が必要となれば、行政は一定の救済措置を講ずる必要があると考えますが、間もなく法の施行期日を迎える本件に対する認識と対応の現状についてお聞かせください。(土木部長)
│掲載日:2022年02月24日│
民法の懲戒権に関する規定の削除については、民法第820条において、『親権を行う者は子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う』とされ、別の条文842条におきまして、『親権を行うものは監護及び教育に必要な範囲でその子を懲戒することができる』とされております。この懲戒をすることができるという第822条の規定が児童虐待を正当化する口実に利用されているという指摘から、国において見直しが検討されております。2月14日に政府の法制審議会で取りまとめられ、この懲戒権の規定を削除し、新たな規定を設ける内容の答申がなされました。今後、政府で改正の内容及び時期について検討されると報道されております。
私は、子どもの成長や自立のために親が自分の子どもに大事だと思うことを教えていくことは欠かせないと思っております。懲戒という言葉に即して考えますと、懲の意味は懲らしめるということでありまして、これが適切でないことは理解をいたします。一方で、戒の意味は戒めるということでありまして、これを適切に行うことがこの児童虐待を招くことになるとは私は到底思えません。むしろ子どもが豊かな人生を送るためには、親が自分の人生経験等を基にして子どもたちを適切に戒めることは欠かせないと思っております。この2つの違いを認識をせず漫然と懲戒権の規定を削除すれば、国民は一般的に懲も戒もしてはいけなくなったと理解し、適切に戒めることまでできなくなると誤解されることとなりかねず、その弊害は著しいと考えます。したがいまして、私自身は懲戒権の規定の見直しについては懲の部分を除外することに異論はありませんけれども、戒の部分は残すべきであると考えます。
国政の各党、また国会において、この法制審議会の答申を決してうのみにせず、多くの国民の心情に乖離した規定とならないように十分な議論がされるべきだと考えております。恥ずかしながら私は、この法改正の議論を園山議員のこの質問通告をもって初めて認知をいたしました。大変重要な問題を見過ごしておったということで御指摘を、御通告をいただきまして心から感謝を申し上げます。
議員からいただきました御質問の暴力的な言動によらないしつけ、子育て、教育についてでありますけれども、体罰については、令和元年の児童虐待の防止に関する法律の改正によりまして親権者による体罰が禁止され、厚生労働省においてその趣旨を踏まえたガイドラインが策定されております。そのガイドラインでは、体罰等による子どもへの悪影響、しつけと体罰の違い、体罰をしてしまう様々な背景を踏まえた体罰によらない子育てのための工夫などとともに、子育ての大変さを保護者だけで抱えることがないようにしていくための必要性が示されております。
こうした内容を基に、県や市町村では子育て相談や支援の現場において、子育てに悩む保護者や支援を要する保護者に対して、体罰等によらずに子どもの健やかな成長、発達を促し、子どもの人格や才能などを伸ばし、社会性を育むことの必要性や方法について丁寧に伝えながら助言、指導をいたしておるところでございます。保護者の皆様が愛情を持って子どもさんに接することで安心感や信頼感、豊かな関係をつくっていただくことが大変重要であります。親として適切にしつけができ、また子育ての過程で悩み孤立することがないように、これは民法の規定の改正の動向のいかんにかかわらず、県としてもしっかりと取り組んでいかなければいけないというふうに考えておるところでございます。
私は法律改正に伴う責任を負うのは政府、国会、国政にあると考えます。この問題の解決は、県がやるとかっていう問題じゃないと思います。国会議員さん方が議決した内容をどうやって国家意思として国民に守ってもらうか。それを真面目に考えて法律改正をしてもらう。提案する役所のほうもそれをどうするかということをきちんと示して、その内容も含めてこの法律を通すかどうかっていうことをちゃんと国会で議論されてないから、こんなことになってるんじゃないでしょうか。
法律改正に伴う規制をどういった経過措置を設けるか。規制をするのは、国家であれば国家がきちんとやるように我々は求めていきますけども、その尻拭いを一つ一つ県財政や県行政で対応する必要があるとは私は考えておりません。知事会や教育長会もありますけども、ぜひとも各党、各層におきましても国会議員さん方にきちんとそういった申入れをしていただきたいと思います。
私は、国民の感性に合わないような民法などが施行されれば、法律ってものは大したもんじゃないと。空文規定。訓示規定。最近の法律は特定のテーマに沿って各党、各会派で法律が通ったりしますけども、中身を見ますと訓示規定ばかりの内容がたくさんあります。そういったものを一体どうやって実現していくかという議論なしにいろんな法律ができている。法律ができたからああすべきじゃないか、こうすべきじゃないかというのは現場で言われる。そういった状況をこれでいいのかどうかというのは国政においてきちんと考えていただかなきゃいけないことだと。そういったことで私はそういう対応をさせていただきたいと思います。そして、知事会や教育長会の問題ではないと。政治の問題だと思います。なので、県政としてどう受け止めるかという問題として捉えるというよりは、別の次元でもきちんと考えていただかないといけないというのが私の考えであります。
そして、子育ての関係につきましては、私自身も子ども、妻に言わせると子育てしたというふうに言う資格を問われれかねないですけども、3人の子育てをした立場からしますと、やはり3人が3人同じような性格でもありませんし、赤ん坊ときの泣き方も違うぐらいの差があります。それが言葉の進み具合というのも、何歳の頃にどれができたというずれもありますので、発達が遅れているんじゃないかとか、この時期にはこうなるんだとかっていう標準形があったとしても悩みが尽きないお父さん、お母さんが多分に多いと思います。
一般論としてその発達段階に応じたといっても、その発達段階に応じたモデルどおりに自分のお子さんが育つわけでもありませんので、事柄を一般論で済ませてはいけないのが子育てなり、その生活の現場でございますので、そういった実際に子育てをされている方々、またその子育ての公的なサポーターとして一生懸命汗をかいていただいております保育園や幼稚園、また小中学校といった教育機関の現状をよく伺いながら、その各現場でまた県としてできること、各現場をサポートできることが何かないかといった観点から対応していきたいというふうに考えておるとこでございます。
メディアを通じた発信、意見具申については、積極的に行うべきとの認識で努めているところでございますが、なかなか力及ばず、記者会見で100を言っても地元メディアに取り上げていただくのが5ぐらいで、全国メディアに乗るのは0.01ぐらいなものであり、なかなか塩梅良くは進まない現状にあります。
東京メディアに取り上げてもらおうと思いますと、県知事としての品位とのバランスやどうしても視聴率とか購買部数とかという面での東京都知事や大阪府知事の発言に対するメディアの意味づけがあり、言い換えれば、メディアとして扱うその軽重として重く取り扱われるのは当然のことでありますので、そういった中でいかに大事なことを取り上げてもらうかということについては日頃から心がけて、県知事との品位については若干県議会の皆様方の御理解をいただきながら、許容の範囲内のぎりぎりのところを考えながら対応していきたいと思っているとこでございます。
今般の民法改正に向けた法制審議会では、懲戒権の規定が児童虐待を正当化する口実に利用されているとの指摘がある民法第822条の懲戒権に関する規定を削除するとともに、親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育をするに当たっては、子の人格を尊重するとともに、子の年齢及び発達の程度に配慮しなければならず、かつ体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす行為、言動をしてはならないと規定することが答申されました。体罰は正当な親権の行使とは言えないことを民法上も明確にすることで体罰の防止を図ることを狙ったものであると承知しております。
平成23年の民法改正では、懲戒権は子の利益のために行使されるべきものであり、子の監護及び教育に必要な範囲を超える行為は懲戒権の行使に当たらないことを明確にする改正が行われ、令和元年には児童虐待の防止に関する法律が改正され、児童のしつけに際して体罰を加えることが明示的に禁止されております。懲戒権の行使として許容される行為の範囲は時代の社会常識により判断されるものと考えられておりますが、令和元年の児童虐待の防止に関する法律改正により、体罰に含まれる行為については懲戒権の行使として許容されないことが法律上示されました。厚生労働省が法改正を受け、体罰などによらない子育てを分かりやすく説明するために取りまとめたガイドラインでは、児童にしつけをするときには児童の発達しつつある能力に合う方法で行う必要があり、どうすればよいのかを言葉や見本を示すなどの児童が理解できる方法で伝える必要があるとされております。
現在議論されております民法の改正に伴いまして、家庭の現場における体罰の考え方につきましては、例えばこうしたものは体罰に当たる、こういったものは体罰に当たらないということがガイドラインで明確になってございます。当然杓子定規に、それに該当するからどうというだけではなくて、その子の年齢ですとか行われた場所、態様、そういったものを総合的に勘案してということになりますけども、例えばこういったものは適当なのか適当でないのかということが示されているわけでございますけれども、今回民法また児童虐待防止法、こういったものに含まれる適当な行為、そうでない行為につきましても、こうしたものについて国のほうでしっかりと国民のほうに示す必要あるのかなというふうに考えてございます。
アスベストの規制については、平成18年にアスベストによる健康等に係る被害防止のため、大気汚染防止法や建築基準法等が改正されました。改正された建築基準法では、新築時にアスベスト含有建材の使用を禁止し、増改築時には使用されているアスベスト含有建材の除去等を義務づけております。また、令和2年には大気汚染防止法の一部を改正する法律が公布され、令和3年4月1日より段階的に施行されています。
主な改正内容としましては、令和3年4月1日には、建築物等の解体等の工事に伴うアスベストの飛散を防止するため、工事着手前の調査対象を全ての建材に拡大し、令和4年4月1日にはその結果について県への報告を義務づけるものとなっております。
この間、国においては健康に与える影響が特に懸念される飛散性の高い吹きつけアスベスト及びアスベスト含有吹きつけロックウールの除去等を補助対象とした住宅建築物アスベスト改修事業が実施されております。しかしながら、議員御指摘のアスベストを含有したリシンなどの仕上げ材の除去につきましては補助対象外となっており、所有者等の負担軽減のためには同様の措置が必要であるものと認識しております。この所有者等の負担軽減に関しましては、全国知事会において全てのアスファルト含有建材の除去等を促進するための助成制度の創設について平成29年度から国へ要望しております。今後も引き続き全国知事会などを通じ国に対し要望していくとともに、他県等の動向等を注視してまいります。
学校で行われる生徒指導は、児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われるものであります。児童生徒が現在及び将来において自己実現を図っていくための自己指導能力の一つとして規範意識の醸成が必要とされ、学校において規律を守ることの大切さの指導などが行われています。また、他の児童生徒の教育の妨げにならないよう、学校の秩序を維持するためにも教育上適切な指導が必要とされています。
懲戒については、例えば県の高等学校規定では、校長が行う懲戒として訓戒、謹慎、停学、退学の4つを定めています。規定とは別に各学校の内規などに基づき懲戒に類する行為として、生徒指導を担当する教員などによる説諭などの教育的指導が行われています。また、文部科学省が示している学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒、体罰等に関する参考事例の中では、認められると考えられるものの例として、放課後等に教室に残留させる、授業中教室内に起立させる、学習課題や清掃活動を課す、立ち歩きの多い児童生徒を叱って席に着かせるなどが挙げられています。
仮に法改正があった場合にこれらの全てまたは一部が見直されるかどうかについては現時点では不明ですが、冒頭に申し上げたように、規律を守ることの大切さを教えたり学校の秩序を維持したりするためには、何らかの教育上のルールは必要であると考えます。具体的にどのようなルールをつくったらよいのかについては、本県だけではなく全国の教育長や教育委員の会議などで議論を深めて進めるべきものと考えますが、具体的な内容を例示し、現場の教員が困らないようにする必要があると考えています。また、決められた定めをあらかじめ生徒や保護者への周知を徹底した上で適用することが重要であると考えております。
公立高校の入学定員に対する志願者数の倍率は、最新の集計によりますと全日制全体で0.90倍となり、平成17年度の選抜から引き続いて1.0倍を下回っている状況です。県教育委員会としましては、各地域の中学校卒業者数の見込みを考慮しながら、中長期的な視点に立って適正な入学定員の設定に努めております。
また、その入学定員を推薦入試と一般入試に振り分けております。一般入試に定員を設定した以上は、基本的には学力が合格基準に達していれば一回の試験で定員まで合格とする必要があり、浪人対策の再試験や追試験の実施は定員を下回っている場合には可能でありますが、定員を上回っている場合にはなかなか難しいと考えます。
また、入学定員の設定に当たっては、東西に長く中山間地域、離島を多く抱える本県においてはそれぞれの地域に学校を配置しなければならず、またそれぞれの学校に基本的に1学級40人単位での入学定員を設定していることから、現実には各地域の志願者数に見合う定員設定とはなっていないことも倍率を下げる要因となっており、このこと自体はやむを得ないものと考えております。
しかしながら、議員御指摘のように、高校入学者選抜を一つのハードルと意識して生徒同士が切磋琢磨し、高い志を持って進路実現に向けた資質、能力を身につけていくことは大変重要なことであると考えております。実際に倍率が1.0倍を下回っていたとしても不合格となる場合もございます。一方で、将来を見通しにくいこれからの社会を生きていく上で、中学生たちが自分の生き方をよく考え、自ら学びに向かう姿勢を身につけていくことも重要であると考えています。中学生が高校入学後も自らの目標に向けて成長することができるよう、高校での学びを充実させるとともに、小中高校の系統性、連続性を図りながら確かな学力と学び続ける意欲を育むという県の学力育成推進プランの考え方を市町村教育委員会と共有して学力育成に取り組んでまいります。