和而不流(和して流れず)

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民、自の党首選挙が終わったら直ちに総選挙の実施をすべき

政権党は「最大公約数での妥協」を旨とする政策協議の場をつくれ

民主党と自民党の党首選が喧しくなってきました。日本国憲法第67条に「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」とあり、間近とされる衆議院総選挙でいずれかが衆議院の第1党となれば、党首が総理大臣となるわけですから、民、自の党首選が「総理大臣候補を決める選挙」と揶揄される所以です。政権交代可能な2大政党制を志向し、1996年10月の第41回衆議院議員総選挙から小選挙区比例代表並立制が用いられ、衆議院総選挙の結果は実質的な首相選出の選挙に直結するようになりましたが、一方で、1989年の参議院選挙以降、参議院での与野党間の議席差が縮小あるいは逆転し、衆参の議決が異なる事態が起こっており、政治の停滞の因とされてきました。
1983年、国会での多数を得て政権基盤を安定させるため自民党と新自由クラブが大平連立内閣を発足させましたが、1993年の細川内閣以降は、参議院で単独過半数を得た政党は出現せず、連立を組まざるを得ない状況が慢性化しています。国政は30年近くに亘ってこうした衆参「ねじれ」の状況にありますが、政権与党の国政運営に安定感を欠いている最大の理由は、コロコロと代わる政権党の党首交代にあります。2005年の郵政解散によって小泉自民党は圧勝しましたが、小泉、安倍、田中、麻生と毎年、総裁を交代させ内閣総理大臣が代わりました。2009年の総選挙は鳩山民主党が地滑り的な大勝を収め、政権交代したものの、鳩山、菅、野田といずれも1年足らずで交代し、政権党の中で「権力のたらい回し」が繰り返された結果、国民の政治離れは加速度的に大きくなってしまいました。
政治が国民の信頼を取り戻すためには、選挙制度云々よりも選挙で多数を得た政党の首班が、信託した国民の期待に応えるべく、信念を持って権力を行使することに尽きます。モノ言わぬ国民の多くは、原発の再稼働や増税、予算の縮減など、世論の反対が多いとされる案件であっても、ねばり強く説得にあたる政治家の出現を待ち望んでいるのであり、マスメディアを意識した言動を重ねる政治との訣別を政権党に求めていると思います。民主、自民は、党首選によってまもなく「新しい党の顔」を決定します。後は1分1秒でも早く衆議院の解散によって国民に政権の選択を問い、いずれが多数となって内閣の首班を構成しても、参議院の多数が得られていない現状に鑑み、最低でも「最大公約数での妥協」を旨とする政策協議の場をつくり、停滞を打破する体制の構築を願いたいと思います。

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