和而不流(和して流れず)

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令和3年年頭所感

「安心立命」

令和3年の年明け早々に小生の頭に浮かんだ言葉は「安心立命」。何故、念想したのかは全く不明ですが、調べてみると、その意味するところは「人事を尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと」で、出典は、中国・北宋時代の『景徳伝灯録』にあるとのことでした。令和2年は、新型コロナウイルス感染症に翻弄された年でしたが、同僚議員2名の急逝や2人の孫(小生にとって6番目と7番目)の誕生、義母の見送りなど、身近な人たちの生死が相次いだ年でもあり、改めて、自らの持ち時間を意識させたのかも知れません。
論語の雍也篇には「子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽」とあります。読みは「子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。」で、その意は「知恵のある者は、固定観念に止まることなく、流れるように物事に対処して、自由な活動で人生を楽しむ。仁の備わったものは、首尾一貫した考えを持ち、山のように動じることがなく、ゆったりと心穏やかに長生きする。」というものですが、平成3年に平田市議会に参画して以来、早や30年が経過しました。顧みて、ひらすら、動き回ってきたように感じますが、高齢者と称される齢を直前(64歳)にして、天が小生に「安心立命」を意識させたとすれば、自らに課してきた『和而不流』とする立ち位置を再確認しながら、決して頑固ではない「泰然自若」を心する日々を過ごしたいものです。

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