和而不流(和して流れず)

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人として生きるのであれば社会的責任はゼロにはなり得ない

心神喪失や心神耗弱で犯罪を犯した人は責任能力が回復した時点できちんと罪を償なうべきだ

11月4日、2017年7月に祖父母や近隣住民5人を殺傷し、殺人罪に問われた30歳の男性被告の裁判員裁判で、神戸地方裁判所は「被告は、犯行当時は被害妄想による『心神喪失状態』で、責任能力はない」として無罪を言い渡しました。刑法39条には『心神喪失』は刑事責任能力が無いとして『刑の免除』が、『心神耗弱』は『刑の軽減』が規定されており、凶悪犯罪事件で殺人罪に問われ、死刑を求刑された被告が、心神喪失を理由に無罪や心神耗弱を理由に無期懲役や有期の懲役刑とされる判例は珍しいことではありません。
江戸時代の武士社会で認められていた『仇討ち』が、現代社会では法律で明確に否定され、被害者にとっては裁判所が下す罪刑が相手方への『復習心情を晴らす術』のすべてで、「殺人を犯した者が法令の規定で命を守られることなどがあっていいのか」という被害者家族の心情を吐露したコメントに大方の人が反論する言葉を持たないのは十分理解できるところです。
事件当時『心神喪失状態』で殺人を犯した人が、訴追や刑を免れ、医療観察で入院後、一定期間を得て平静を取り戻したとして退院し、市井で普通に暮らすことは無理とは言いませんが、再犯の可能性もまた、無しとは言えません。裁判所が心神喪失や心神耗弱が原因で罪を犯したと判断するのであれば、刑の言い渡しを一定期間保留して、医療観察施設で治療を行い、責任能力を回復した時点できちんと罪を償なえるようにするなど、犯罪者に人としての保護を与えるのであれば、法令の規定を見直しし、当事者として果たすことができる最大限の責任を求めるべきだと思います。

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