和而不流(和して流れず)
Columns
和而不流 2006年
第9~11合併号(2002年2月25日号)
2月22日は「竹島の日」。条例の制定について意見をもらった。「いまの子供たちはどこの国ともケンカをしていない。なぜ、敢えて戦争と侵略の歴史を負わせるのか」「竹島の日は日本と韓国の子供たちが竹島でキャンプをしたり、一緒に歴史を学ぶ日にしてはどうか」など、日韓が対立する日にすべきではないとの認識はみな同じだ。
近隣諸国と真に未来志向の関係を築くのであれば、次世代が当事者世代の過去を引きずる現状を打開するための知恵が必要だが、中韓両国は外交交渉に侵略の歴史を持ち出し、日本は謝罪と譲歩を繰り返している。
「いったい、いつまで謝罪を続けなければならないのか」という素朴な疑問は、明治時代以降の歴史、とりわけアジア諸国との外交史が満足に学校の教科書に取り上げられていないことと無関係ではない。
昨年は中学校の教科書採択(選定)の年で、歴史、公民などの教科書について竹島の記述の有無を調査した。公立学校の教科書は、市町村の教育委員会で選定されるが、そのことを知る人はほとんどなく、参議院議員の山谷えり子氏は、親が子供の教科書に何が書かれているのかをほとんどが関心を持っていない(知らない)と警鐘を鳴らしている。
日本が将来も豊かに生存を続けていくためには、何よりも次世代を生きる子ども達に、正しい知識をベースにした真理を見極める力をつけさせる教育の充実こそ急務だが、「法を守る」のでなく「法に触れなければいい」という価値観を改革の実践理論だと許容し、「寵児だ」「英雄だ」と讃えた『世論』『オピニオンリーダー』を自称するメディアやマスコミに振り回されている為政者達の何と底の浅いことだろうか。
│掲載日:2006年02月25日│
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