和而不流(和して流れず)

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和而不流 2004年

第6号(2004年11月30日)

女流詩人、金子みすずの作品に「すずと小鳥とそれから私 みんな違ってみんないい」というフレーズの詩がある。
『私が両手を拡げても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥は私のように 地べたを早くは走れない』『私が体を揺すっても きれいな音は出ないけど あの鳴る鈴は私のように たくさんな歌は知らないよ』『すずと小鳥とそれから私 みんな違ってみんないい』
人も街もともに一昔前までは金太郎飴的、平均的なことが正当で、突出した秀逸よりマイナスの少ないことが優秀とされた。いま、ようやく人と違うこと、他所と違うことが評価の対象となってきた。
この地方は年長者や目上に従うことが美徳の地域で、自らの意見を述べ合うことは「論をする」と言って嫌う。目下の言は「意見する」と刃向かうことと同義語。黙従する人を「人格者」と評価してきた。長老や多数意見に追随することは容易く、孤立することはない。違う意見・見解を述べ、表決で立場を違えると時に辛い評価・仕打ちが待っている。 学校や社会で「違うこと」を理由にした差別事象はないだろうか。いじめ、不登校など学校が抱える問題はそうした社会意識の病理現象の側面がある。「違い」を認め合うこと。思いや考えを腹蔵なく披瀝し、議論し合うこと。沈滞、停滞からの脱却も案外こういうところから始まるのかも知れない。

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