和而不流(和して流れず)

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和而不流 2004年

第5号(2004年8月29日)

アテネオリンピックでの日本選手や中国04総体で郷土選手の活躍を目の当たりにしたときの感動、何かしら弾む心地を「意気が揚がる」と言うのだろうか。
過去、日本では、スポーツの栄光は「名誉だけ」で、金銭的・経済的利益を求めないことが美徳とされてきた。いまは、アメリカンドリームに象徴されるように「富と名声」は結果を残したものだけ得る当然の特権だとされる。オリンピックへのプロ選手の参加やアマチュア選手のプロ化の流れが加速し、「日本人が勝負強くなった」こともこれと無縁とは思えない。
ところが、わが島根県。国体の競技得点はほとんどビリかそれに近い状況が続いている。高校や大学の在学時に県代表としていくら活躍したところで島根県内に就職する機会が用意されているわけではない。島根県職員や教員の採用試験ですら、そうした履歴が評価されることはほとんどないから、人材はどんどん他に流れるのであり、人材の輩出県と言われるゆえんである。
県はスポーツの振興を政策優先度の最下位にランクした。中国04総体の開催決定を機に、小学校から始まる永いジュニア強化の末に、やっと全国レベルに引き上げた関係者の地道な競技力向上の努力はほとんど評価されてはいない。
県の財政難を理由に職員採用を当面中止するという方針は辛うじて撤回されたが、安易に人材の発掘・育成を隅に押しやる姿勢は「人材の流失」という取り返しのつかない結末を招くのではないだろうか。

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