和而不流(和して流れず)

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和而不流 2003年

第1号(2003年8月26日号)

市議会議員に当選した頃に、先年故人となった伯父から「和而不流(和して流れず)」と書かれた直筆の色紙をもらった。中国古典『中庸』に「君子は和して流れず。強なるかな矯たり。中立して倚らず。強なるかな矯たり。」とあり、政治に参画する機会を得た青年へ傘寿記念にかけた贐(はなむけ)と感じていたが、近年この重みを痛感し、座右の銘とした。
私たちは物事にかかる時、最善の方法を知りながらも、必ずしも選択するとは限らない。敢えて次善、三善の策を採用することもある。それが却ってスムーズに運ぶ要因となって成功すると、あたかも採用した手法が最善であったかのように評価され、最善手が検討されることはなくなってしまう。とりわけ、政治の場では「妥協」という作業が続いてきた。
国の財政危機による制度改正は「構造改革」という名で地方を直撃し始めた。補助金や地方交付税の削減は自主財源の脆弱な市町村の存立を脅かしており、現在の制度を維持しようとすれば広域合併は必定だ。
合併すれば全てが解決するわけではない。地方が名実ともに自助努力で自立を果たすためには、合併の如何に関わらず、肥大した行政組織や財政の改革を断行することが不可欠で、合併すればその効果が倍加するはずだが、今もって合併による人員削減や施設の再編、統廃合の声が聞こえてこないのは不思議だ。
出雲市を中心とした2市5町の法定合併協議会への参加は近隣に和するという表明で、現時点で最も相応しい選択だ。いよいよ胸突き八丁。議論が合併の本質を離れて事務執行体制の有り様云々に終始することがないよう願うばかりの昨今である。

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