和而不流(和して流れず)

Columns

和而不流 2003年

第2号(2003年10月20日号)

自民党総裁選挙が終わった。マスコミは平成研究会(橋本派)や宏池会(堀内派)の対応が分かれたことから派閥の融解が始まったと大々的に報じている。
世論調査で5割を超える支持がある総理・総裁を交代させれば即、国民の支持を失うことは目に見えている。どんな秀逸な政策を掲げても住民の支持・理解がなければ実行できないのは自明で、政治家の価値判断は有権者の思考の延長線上になければならない。
自動車の普及や通信手段の高度化により行政方針に対する住民の賛否を瞬時に集約することが可能となり、教育の普及は住民の価値判断を多様化した。住民の無制限委任を受ける代議制の議会・議員が議論の決定プロセスを開示せず、旧態依然として一部の利益代表から脱却していないことが「政治離れ」「無党派」というかたちに顕著である。政治家が住民の多数意志に反した判断を下すのであればそこに徹底したアカウンタビリティ(説明責任)がなければならない。「小人閑居して不善をなす」とは中国の古典だが、密室、談合の言葉の響きにも同じ意趣がある。
平田市の9月定例議会では合併に対する住民投票条例が可決された。11月には2市5町の合併の是非に対する17歳以上の住民意志が問われることになる。『菜根譚』に”事を議する者は、身は事の外に在りて、よろしく利害の情をつくすべし。事に任ずる者は、身は事の中に居りて、まさに利害の慮を忘るべし”とある。合併論議に当たる面々に、今こそこの言葉を贈りたい。

過去の投稿

園山繁の活動日誌